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『Mnémosyne』 Josef Nadj

Josef Nadjを見にいった。
時間前にまず通された広い会場には、ナジさんが撮ったモノクロの写真が150点ほど飾ってある。
どれも、干からびたカエルのポートレートだ。
カエルはさまざまなポーズを取って、さまざまなものと写っている。
花とか、何かの部品のようなものに寄り添っていたり、ターンテーブルに載ってぐるぐる回されているものもあるし、なかなかにユーモラスで可愛らしい。

私は子供の頃、道端で自動車に轢かれてぺったんこになって干からびているカエルを見つけるとそのままにしておけなくて、いちいちアスファルトから剥がしては、土に埋めていた。
それがちょっと変わったことだということも分かっていたから、なるべくひとりの時にやっていた。
今思えば、そばに川も湖もなかったのに、どうしてあんなにしょっちゅうカエルの轢死体を見つけていたんだろう、あのカエルたちはどこから来てどこに行くつもりだったんだろう。
でもだから、ナジさんのカエルの写真を見た途端ににやっと笑ってしまった。
なんだかこれは私にとって親密なものになりそうな気がする、親密というか共犯者みたいというか。

会場のはじっこには真っ黒でつるつるした布がぴんと張られた小屋があって、中で誰かがごそごそと動いているようだった。
準備しているんだな、と様子を伺っていたら、会場係のひとに「まだここには来ないで」とつまみ出されてしまった。

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時間が来て、黒い布の小屋に案内される。
こんな広い会場なのに、その片隅にある小屋は小さく、20人くらいしか入らない。
昔の人形劇とか紙芝居とかを思わせるような規模。
チケットがすぐに売り切れになった理由がわかった。

ナジさんは顔を包帯でぐるぐる巻きにして、ぎこちない感じの動きで小屋に入ってくる。
後ろ向きで歩いたり、手を揃えて震わせたり、何を表しているのか、何をしたいのかよくわからない動き。
干からびたカエルが登場する。
カエルは棒に刺されているんだけれど、それを持っているナジさんの手はよい厚みがあって、特に丁寧にカエルくんを扱っているわけでもないのに(どちらかというとそんなに器用そうに見えない)、それなのに、手にしているものとその手やからだは、通じている感じがした。
それだけで、私はこの作品やナジさんを好きだと思った。

包帯でぐるぐる巻きになって、斜め上からスポットライトを当てられたナジさんはちょっと不気味でもあった。
不気味なのに、なんだか可愛げがある。
体の存在感が不思議な大きさで迫ってくる。
空洞のある大きな木みたい。そう、洞穴みたいな圧迫感だなあと思う。
顔が見えないからだとおもうけれど、これはナジさんが舞台生活で培ってきたものもあるんだろう。
一人で何度も小さな部屋を出たり入ったりするのだが、その度になにやら道具とか、等身大の人形(これも顔や手を包帯でぐるぐる巻きにしている)を持って入ってきて、ひとしきり良くわからない動きをして、感情とかもわからないかんじで部屋の中にその物たちをセットして、また出てゆく。
ナジさんの手付きから、それらが大事なものなんだろうな、ということだけは分かる。
秘密の宝物を、惜しいけど見せちゃおうとしている感じ。

なんだろうな、これは一体なんなんだ?
これが最終的にどう回収されるんだろう?
どういうオチがあるんだろう、でも変なオチだったり、ただのシュールで終わったらどうしよう、
と心配が入り混じったどきどきで、見ていた。
多分、この舞台を好きだと思ったからだと思う。
がっかりしたくない気持ちがあった。

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この下はネタバレなんだけど……

ーーーー(だからこの作品を見たい方は読まないで下さい)ーーーー

最後に小さな小屋のなかに揃った宝物たちと一緒に、ナジさんは記念撮影をするのだった。
小屋にはもともとカメラがセッティングされていて(その時まで全然気づかなかった)、ナジさんがボタンを押すと古い写真感みたいにぱしゃり、しばらくじっとする、撮影終了、みたいな時間が流れて、それで終演だった。

私は心の中で、だから暗室だったのか!と叫んだ。
ナジさんはひたすら自分のお気に入りのものをセッティングしているだけだった。
それを並べたり、私たちに見せてくれたりした、そのことがただ作品になっている。
なんだこれ、ほんとうに楽しい。

終演しても拍手をするタイミングが分からなくて、みんなシーンとしていた。
幕は閉じたのに、しーんとしていて、だから私が拍手を始めた。
みんなぱらぱら拍手を始めて、ブラボー!と言い始めたけれど、ナジさんは再登場したりはしなかった。
きっと淡々と次の公演の準備をしているんだろう。

ーーーー(ネタバレ終わり)ーーーー


ダンスって、舞台って、なんだろうなあと思った。
このところ期待していたダンスの舞台に軒並み失望することが多くて、こんなに素晴らしいダンサーや技術を使って何故こんなものしかできないんだろう?と怒りさえ覚えることが多かった。
あのダンサーの汗は、何のために流されているのか…?
この場所でこの作品をやるということを、作家は真剣に考えているのか…?
公演が終わって帰り道、うーーーーーーん。としか言えないことが多かった。

でも、ナジさんの作品を見て、わたしはやっぱりこういうことが好きなんだなと再確認した。
ダンサーの踊りの見事さばかりに頼り切った舞台は、もういい。
アイデアを詰め込んで、アイデアの陳列ショーみたいに終わる舞台なんて興味がない。
テーマなんかさもないことでいいんだなあ、自分が見せたいことを、どうやって想像力に載せ、観客に手渡すか、だ。
勇気をもらったし、人の作品にケチをつける前にじゃあ私はちゃんと自分が信じるやりかた、自分が好きだとおもうその感覚に直結して踊りのことを考えているのか、ということを問われたような気がした。
誰かの体が目の前にあってそれを見ながら色々思いを巡らせたり、謎があったり、読み取ろうと頭をひねったり、でもやっぱりなんだかわからんけどくすくす笑いたくなるとか、何だかぞわぞわさせられるとか、身体がもぞもぞ動きたくなるとか、20年前の夕焼けが顔を照らすその熱さを思い出すとか、そういうのがいいな、そういうのが楽しいじゃん。そういうひらかれかたを、わたしはしたいのだ。
と、わくわくした20分だった。
面白かったな。
他の公演があったら、きっと見に行こう。


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