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みんなの中庭、速度、夏の気配
だいぶ陽が長くなった。
こうして書いている今は21時20分だが、夕焼けはこれから訪れる。
公園にも行けない街のひとびとは少しでも太陽に当たろうとしてベランダに椅子やテーブルを出し、おしゃべりをしたり夕食をとったり本を読んだり居眠りをしたりしている。
外出制限中にそれぞれのベランダを通じてなんとなく顔見知りになったから、その光景もなんだか小さな中庭を共有しているような気持ちになって微笑ましい。
昨日も誰かの誕生日だったようで、バースデーソングと拍手が贈られていた。
去年から1年間かけて本格的に勉強していることがあるが、4月からコースは休止、次回の開催は9月まで待たなければならない。
早く一人前になりたかったので焦る気持ちがあったが、どのみち習ったことを自分のものにするには時間がかかる。
サッカー選手がいつもボールを持ち歩いてボールと親密になるように、幸いなことにわたしはいつも自分の身体と一緒にいられて、色んなことを試したり感じておいたり果たしてどういうことだったかなと訊いてみることができる。
練習させてくれる友達もいっぱいいるしね。
外出制限が解けたので少しずつ練習させてもらえるよう声をかけてみよう。
今日はもやしのナムルとからし菜とひき肉のオイスター炒め、さつまいもを蒸したもの、ズッキーニを素焼きしてざっと出汁で和えたもの、青梗菜とナスの味噌汁、雑穀ごはん、キムチ。
そんなに代わり映えのないメニュー。
毎日違うものを色とりどりに食べないといけない気がしていたのだけれど、どうやら彼はそういうことをあまり気にしないようだ。世界には毎日同じものを食べ続けているひともいるんだよ、と教えてくれる。
私も、ひとつのことを幾度も練習しないと身に染みたり上達したりしてゆかない質なので、前回作った記憶が薄れないうちに繰り返して手際を良くしていったり細かい工夫をしてゆけるほうが楽しい。
そうだ、もう、そんなに色んなことができるようになったり、色んな情報をつかみにいこうとしなくていい。
今日も明日も明後日も世のトピックは次々に移り変わってゆくけれど、もともとがそういうものについてゆけるタイプじゃないのだ。
珍しいものは好きだし、好奇心もあるし、順応しやすい、何でもまず取り入れてみたいようなところも私にはあるけれど、わたしの本体のようなものの中を流れている時間はもっとゆっくりだし、もっと頑固、慎重だ。
好奇心にかられて、または何か焦燥感とか義務感にかられて次から次へとやってくるものごとに取り組んでみたところで、わたしの本体はまだ全然ついてきてない。遥か後方でじっくり吟味したり、違和感に立ち止まったりしながら、しきりと首をかしげている。
表向きの私がどんなに駆け足で遠くに行こうとしても、本体のわたしが納得しないことには腰はどんどん重たくなってゆく。
やったほうがいい気がするのに、楽しいことのような気がするのに、なぜかこころが進まない。なぜか全然身体が動かない。
そういう時は本体が何かを疑っているとき、まだ理解できない、まだ味わい尽くしていないとしゃがみ込んでいるときだ。
世界中の本を読み尽くすことと、たった一冊の本だけを読み続けて世界を見つけることとは、そんなに違うことだろうか。
あまりにも家にいすぎて、もう夏休みみたいな気分も消えてしまった。
明日は久しぶりに友達に会う。
あさっても。
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