推しを贔屓と呼んでしまう話とそんな贔屓を至近距離で拝んだ結果の話
`推しとは呼ばず『贔屓』と呼んでしまう。
宝塚は『贔屓』という呼称が用いられているというが、私の贔屓は宝塚でもなく、アイドルでもなく、ヴィジュアル系バンドマンである。
ヴィジュアル系の界隈では『推し』という言葉が流行る以前から本命盤だとか本命麺というものが一般的だ。
推しも、本命も、贔屓も、結局は応援している対象への呼称であり、あまり大差ないのではないかと思っている。
それでも私は彼らを『贔屓』と呼んでしまう。
それは多分たくさんあるバンドの中でこのバンドが一番好きだとか、数あるバンドマン バンドメンバーがいるけれど私はこの人に魅了されたとか、そういう『依怙贔屓』な心が彼らを贔屓と呼んでしまう心情なのかもしれない。
さて、そんな贔屓が出演するライブに初めて行ってきて贔屓を拝んできた。
その贔屓をSNSで見かけた際、あまりに凄絶な色気を放っていて「なんだこのひとは」とビビり散らした御方である。
アプリの加工やPhotoshopという魔法が掛けられているとは分かっている。
現実が何割減であった場合、その時は潔く現実を受け入れようと思っていた。
が、贔屓のビジュは強かった。ビジュが良すぎた。
ビジュが良すぎて贔屓がステージにいる間「ビジュが良い…」としか言えなかった。
ヲタクあるあるの、贔屓が尊すぎて知能が下がりまくる現象を起こしてしまった。
ほんの30分程度のステージであったが、後頭部を殴られたような衝撃だった。
小さなライブハウス 半径5メートル圏内に贔屓がいるということで私の中で何かが活性化した気がしている。
さて、そんな近い距離で贔屓を拝めたライブハウスで、またしても別の贔屓がライブを開催する。
12月のことだが既に大丈夫な気がしない(主に財布と情緒面)。
無事参戦できるよう、来月のチケット販売開始でのチケット確保に息巻いている今の時点でもう大丈夫じゃないかもしれない。
贔屓のために働きます。