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日本語の罠

(※今日の記事を音声で楽しみたい方はコチラ↓)

おはようございます!ミラノ・スカラ座研修所コレペティ研修生の天雨航平です。天雨航平オペラアカデミーの運営をしたりしています。
この放送は、オペラをやっていく上でのあれこれや音楽人として必要な考え方などを実体験をもとにVoicy開設を目標に発信しています。

さて、本日は、
「日本語の罠」
というテーマでお話しさせていただきます。
★本題に入る前にお知らせをさせてください。
僕のYouTubeチャンネルで、オペラの予備校「天雨航平YouTube音楽院」を開講中です。オペラのあれこれを紹介するチャンネルで、具体的にツカえる話をしています。もちろん無料ですのでご覧ください。


それでは、本題です。
本日は、「日本語の罠」というテーマでお話しさせていただきます。

私はオペラをやっていて、一番最初に何をするかというと「あらすじ」を読みます。
「あらすじ」というのは、オペラのストーリー・話がどんな風に進んでいくのかという道しるべのようなものだと思っています。なので、一番最初にあらすじを読みます。私は今 イタリア・ミラノにいるので 、日本語訳をした台本だったり、リブレットだったり、っていうのがあんまり手に入らないので、だいたいイタリア語のまま読んでしまうことが多いんですけど、今たまたまロッシーニのセビリアの理髪師を勉強していて、本当にたまたま日本語訳が手に入ったので、ちょっと読んでみようと思って、読んでみたところ、いくつか気になる点がありました。最初、この文を読んでみます。

あらすじ第1幕 バルトロの家のバルコニーに面した広場、そしてバルトロの家の中、まずバルトロというのが、ここに書いてあるのは医学博士、ロジーナの後見人。「後見人」難しいですよね。

夜は開けようという頃、通行人は全くないスペインの若い貴族、アルマヴィーヴァ伯爵は首都マドリードのプラド美術館で、バルトロの娘と言われる若い美女ロジーナを認めた。だが彼女が少し前に家族と一緒にセビリアに引っ越してしてしまったため、彼女を諦めきれない伯爵は娘の後を追って自分も遠路はるばるシベリアまでやってきたとあります。

さて、これを知らない方々だと、「あ!? そうなんだ!」と思ってしまうかもしれませんが、最初に思ったことがあって、それは何かというと、ふとマドリードのプラド美術館というところなんです。これの何がはてな か と言いますと、「プラド美術館って何?」首都マドリードにプラドという場所があるの?という風に思いました。 

というのも、最初はボーマルシェの原作を最初読んでいたので、途中までですけど、途中まで読んでいて、「こういう文があったっけなー??」っていう風に思っていました。
イタリアでは、リブレットという台本がリコルディとソンツォーニョから出ていることが多くて、それをいつも見て使って勉強しているので、それを見てみたんですけど、 ここに書いてあるのは、一番最初の文を読んでみます。 

Il conte d’Almaviva è innamorato di una fanciulla incontrata al Prado.
アルマヴィーヴァ伯爵はプラドで出会った(見た)一人の女の子に恋をした

ていう風に書いてあって、プラドというのが、美術館だ。美術館であるかどうか。 っていうのは分かってないです。というので、ここに書いてあるマドリードのプラド美術館っていうのは一体何だろうという風に思って、Facebookで書いてみました。
「これご存知の方いらっしゃいますか」と。したら案の定思い描いていた先生から返信が来て、結局これ美術館じゃないよねっていう話になりました。 

さて ここから一番大事なのが、「ここに書いてあるからこうだよね。」というものではなくて、ちゃんとそれが理屈が通っているかどうかということを毎回確認しなければいけないということです。 私はコレペティという立場なので、歌手や演出・指揮者とともに仕事をするわけですけど、特に歌手相手には、
こういう意味だからこういう風にしましょうとか
こういう風に書いてあるからこういう風にしましょうこういう風にしてください」

っていう風な指示の仕方をしなければいけない立場です。つまり意味が必ず必要なわけです。まあ、トップのトップに立つ指導者という立場になる方々は、当然皆さんに説明をして、そうさせなければいけないという、理由をつけなければいけないと思うので、こうだから こうしなさい。というよりも、こういう意味だからこうしてくださいっていう風に、説明した方が説得力がとてもあるので、かつ自分も分かりやすいので、そういう意味をプラスすると思います。が、そのプラスした意味が正しいか間違ってるかっていうことを、毎回確認しなければいけないと思っています。
しかし、その深い意味というものが果たして、「作曲家が意図したものとものかどうか」もしくは、「台本作家が意味したかどうか」っていう裏筋を必ず取るべきだと私は思っています。というのも、人によっては、こうかもしれないけど、もう一人の人からしたらこうやっていう意味の「差異が生まれることがあります」なので、台本作家が実際に書いた文献、もしくは手書きだったりというのと積極化が実際に書いたものというのとさらに 違う 第三者がこういう風にしてるよね。こういう風にするよね。という意味の違いだったり、いわゆる校訂をした人、校訂っていうのは直した人、プラスで書いた人という人の文献だったりっていうのは、真ん中にその方の意見というか、主張が入っているので、ちょっと違ったに意味に合わせて捉えられてしまう可能性もあります。
例えば、この場合、あらすじが日本語で書いてあるため、日本語のこの書いた人が実際に本当にフォーマル性だったりのロッシーニがこう言ったかどうかっていう裏付けをしなければいけない。これを今僕がしなければいけない。
まず最初の仕事で当然日本人なので日本語の方が分かりやすかったり日本語でやった方が時間が早く進んだり時間勉強する時間が短かったりするので 日本語の方が、やっぱり楽だなって思うことがあるんですけど、最終的には結局イタリア語で読み直したりとか、イタリアのものをボーマルシェがフランス語で書いたものロッシーニがイタリア語で書いたものを読み直してそれが本当に正しいのかな っていうことを毎回してます。日本語で書かれていて、楽だ。対訳で書いてあるとか思って、こうなんだっていう先入観を持ってしまうと、間違った意味を入れたまま本当は違うものというものが出来上がってしまう恐れがあります。
ということで 、私はですね、たまたま、本当にたまたまで、ずっと見つからなかったんですけどボーマルシェのセヴィリアの理髪師とフィガロの結婚のイタリア語バージョンを入手することができました。必ずフランス語の原文を載せてイタリア語バージョンを今書いてる途中です 。
なので そのイタリア語の部分とフランス語を照らし合わせて本当にそれが日本語として正しいのかなってことを考え直してみてください。
 必要でご要望があれば日本語訳を私がして書こうと思います。書き終わるまで、ちょっとお待ちください。

それでは、本日は、「日本語の罠」というテーマでお話をさせていただきました。

最後までお聞きくださり、ありがとうございました!

「天雨航平オペラアカデミー」では、オペラをしていく上で気づいたことや生まれた問題に関して、どうやって解決していくかなどの記事を毎日投稿しております。ご興味のある方はぜひのぞいてみてください。
それでは素敵な1日をお過ごしください。
コレペティの天雨航平でした。
まったねー

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