2021.5 東北探索①
「いつもお世話になっております。〇〇の〇〇です。」
業務に絡む内容以外でまじめに文章を考える機会がめっきり減ったため、記念すべきnote2本目の投稿も危うく生活感の塊で始まるところでした。
思えば卒業論文等々は貴重な機会だったのだなと、改めて感じる次第です。
さて今回は掲題の通り、2泊3日で東北へおいしいものを食べに行ってまいりました。1日目の日中は太平洋沿岸部を順当に北上。
旧野蒜駅。現在の駅舎は路線とともに北側の高台に移設されております。側線に保線車両が留置されている震災以前の写真があり、一つの拠点駅だったということが分かります。
駅名看板よりもはるかに高い位置まで津波が到達したことがわかります。
これを撮った10分後くらいに、目と鼻の先を震源とするMw6.8の地震があり、この旧野蒜駅も震度5強のエリアと報道されておりました。
しかしまあ、地震に遭遇するリスクは普段よりもはるかに高いとわかっていたにもかかわらず、結局揺れが収まるまで何も行動ができませんでした。館内にいた施設の方はテキパキと脱出経路の確保に当たられていて、尊敬の念を抱きました。
津波の力によって変形した線路。
特に周辺は被害もなく、また津波の心配もないという事がじきに分かり、館内の方から今後の行程にかかるアドバイスやカキのエキスで作った飴をおみやげにいただいたところで、お礼を伝えて撤収。
次いで女川。震災において、人口に占める死者の割合が最も多い市町村という部分がクローズアップされることが多いですが、町全体をかさ上げし、女川駅から港までの導線の間に商業施設を集中させた景色、そしてその背景にある町のグランドデザインは、かなりインパクトが強いです。
そして海鮮丼がおいしい。次は夢を語れにでも行きたいところです。笑
女川駅前はこいのぼりが沢山泳いでました。
女川から旧大川小学校へ向かう道中、湾全体に広がる巨大な防潮堤を目の当たりにし、予定外ではありましたが車を止めて写真を撮りました。
帰ってから調べると、こちらは石巻市の雄勝町と呼ばれる場所であり、防潮堤の高さは9.7mだそう。
綺麗に海岸線に沿って作られている点、そして復興から10年という国が掲げる一つの区切りの年においても完成していない点、さらに防潮堤をめぐる町と県のコンフリクトなど、順当に三陸道を経由しただけでは知ることすらなかったでしょう。
この後は旧大川小学校を経由し(写真割愛)、陸前階上(はしかみ)の伝承館へ。
校舎および教室内に流れ着いた漂流物がそのまま残置されていることに加え、当日が雨だったこともあり、土ぼこりの匂いがかなり立ちこめていました。
校舎の南側はゲートボール場となっており、現実とのコントラストが際立ちます。入館料はかかるものの、全体としては是非行くべき場所だと感じました。
次の場所へ行こうとしたところ、そろそろBRTが来るとのことで見学。バスが通過するときだけ手前のゲートが自動で開き、一般車の流入を防ぐ役目を果たしていました。
望遠で圧縮すると、陸前階上がかつて島式のホームだった点、BRTの場合地上レベルでの移動が可能な点、道路のキロポストになっている点などが見えてきます。
地元新聞社によるBRTの評価をぱらっと見る機会がありましたが、実質的な増便を歓迎する意見もある一方、定時性の確保にも課題があるように思われました。
バス専用道については道中、沿線道路に平行する形で新たに架橋中の光景もあり、定時性の向上をどこまで追い求めるのか、という点もふと気になりました。
前谷地まで行くそう。この信号を右折し、一般道に合流します。
次いで陸前高田。詳細は3日目に。この日の宿を何故か盛岡にしてしまったために、ここ陸前高田から一気に盛岡まで北上します。
途中釜石線と並行するルートを通りましたが、通っている道路の先に有名な橋が綺麗にライトアップされてて爆笑。すぐ傍が道の駅だったこともあり、有難く写真を撮り、時間も丁度良かったことから列車を見送らせていただきました。
盛岡冷麺。大して期待していなかったけど味や麵のコシが自分好みすぎて一目ぼれでした。また食べ行きます。
この後は盛岡の宿にチェックイン。2日目は一日中雨とわかっていたので、特に綿密なスケジューリングをするわけでもなくパパっと風呂入って就寝。タコ部屋レベルで狭かったですが、朝食のひっつみ汁が美味しかったのでオールオッケー。
続く
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