古代氏族って面白い(伊東先生対談②)
日経ビジネス電子版で連載してます、伊東潤先生との対談「歴史小説家が語り合うニッポンの原型」第2回が掲載されました。前回分については記事中にリンクがありますので、そちらをご参照ください。
で、ご縁となった両作品はこちらに。
古代を調べていると面白いのが、各氏族が仕事ベースで集団を作っていることです。分かりやすい例だと、土師氏(土器づくり)、服部氏(機織り)、弓削氏(弓矢づくり)……というように、氏の名前に氏族の仕事を冠していたりしますね。
このあたりは、『古事記』『日本書紀』に共通する世界観と言えますね。日本神話の神々もまた、それぞれ固有の役割・権能を持っています。そして、その役割を十全に果たしているときこそが“神”である、という考え方もあったりしますし。
そんなわけで、拙作『和らぎの国』では、氏族という共同体を「仕事ベースの職能集団」として捉えて、それに基づく規範や道徳が常識となっている社会をデザインするところから、お話を作ってみました。
それは、飛鳥時代初期で最も有名な氏族――蘇我氏についても同じです。
もっとも、仏教公伝から大化の改新まで、良くも悪くも国政の第一線で活躍する蘇我氏、じつは歴史上で見ると、かなり“ぽっと出”の一族だったりします。馬子の父・稲目が宣化天皇のときに大臣に任じられましたが、どういう経緯で権力の座についたかは、正直よく分かっていません。
そもそも蘇我氏は、「武内宿禰」という伝説的な宰相の子のひとり、蘇我石川宿禰という人を祖としています。武内宿禰は景行天皇から仁徳天皇の五代にわたって仕え、280歳でなくなったという超長寿の人ですね。
各天皇に側近として仕えた武内宿禰ですが、その職分を見ると、宰相として天皇を支えるだけでなく、軍事・内政・外交と幅広く活躍したようです。
そして、この人から出たのが、葛城氏、紀氏、平群氏、巨勢氏、波多氏、そして蘇我氏。その後の歴史を追うと、どうもこの六つの氏族は、武内宿禰の職分を、それぞれ分担して受け継いだらしい。
葛城氏や平群氏は軍事、のちに宰相。紀氏や巨勢氏は内政。そして蘇我氏は内政と外交を自らの畑としていったようですね。しかも、同族の葛城氏や平群氏は、宰相になりながら、それぞれの理由で没落していたりもします。
では、その後に宰相となった稲目や馬子が、同族の末路から何を学んだか……。というあたりから、本作における蘇我氏の性格や、政治家としての蘇我馬子を造形していきました。
本作ではほかにも、物部氏や大伴氏、膳氏、安倍氏などの氏族が出てきますが、基本的には上記のような考え方で、それぞれの領分のプロとして造形していたりします。
そんな形で、古代の日本の社会を描いた『和らぎの国』。どうぞお楽しみいただければ幸いです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?