「和らぎ」のこと。(伊東先生対談③)
日経ビジネス電子版の伊東潤先生との対談「歴史小説家が語り合うニッポンの原型」、最終回が掲載されました。ここまで、多岐にわたってお話させていただきましたが、まとめとして“すめらみこと”のお話、そして和=「和らぎのお話を。
伊東先生には、こちらの拙い話にお付き合いくださり、「スケールの大きい小説家」と過分なお言葉までいただいて、本当に感謝しかありません。
対談のなかでも触れましたが、伊東先生の『覇王の神殿 日本を造った男・蘇我馬子』に描かれる人として葛藤する馬子、そして新しいタイプの厩戸は非常に魅力的で、ぜひご一読いただければ。
「和」、「和らぎ」の話題でまとめていただきましたが、やっぱり私にとって特別な思いのある言葉です。
「日経の本ラジオ」でも言ったことですが、『和らぎの国』での「和らぎ」は、単に仲良ぅせぇということでも、同調圧力でもありません。“異なる役割が集まり、ひとつの目的に対して力を注ぎ合う姿”として描いています。
和らぎを以て貴しとなし、悖うること無きを宗とせよ。「逆らう」ではなく「悖うる」、人の道に“もとる”とかに使われる字ですね。
なので、ここは人の道とか道理、あるいは良心に対して誠実であろう、と解釈しています。ラジオでは、無暗にアンチになるな、なんて言いましたね。
同一化しろとも、画一化しろとも言っていない。人皆党あり、派閥や党派はあるよね、と憲法は認めています。だから、協調性なんてなくてもいい。でも、そのうえで道理や良心、そして相手の意見と誠実に向き合うことを推奨する。
そして論う。お互いに議ろう。意思を擦り合わせよう。それでも足りなけば、戦ってもいいんです。
だから、私のなかでの十七条憲法は、第一条が中心にあって、十六の立場と役割をつないでいる。それぞれの観点から「和らぎ」に力を注ぎ合っている。そんな感覚なんです。
で。これって何も、十七条憲法に独特なものでもなかったりします。記紀や日本神話では、繰り返し出てくるモチーフなんですね。一番分かりやすいエピソードは、国譲り神話でしょうか。
研究者でもない作家の見方ですが、そういう解釈で見た十七条憲法が、『和らぎの国』の発想の原点となりました。
さらに言うと、このモチーフはデビュー作『利生の人』でも描いていたりします。『和らぎの国』のあとに、もう一度、尊氏と正成を振り返っていだだけると、またちがった感慨があるかもしれません。
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