島原取材紀行 ~地域の皆さんの思い~
さて、今回は島原取材の番外編ということで、取材で出会った皆さんのことを少々ご紹介したいと思います。
まずは企画の窓口で、取材のコーディネートや移動手段の提供をしていただいた、島原観光ビューローのSさん。
土地の案内や資料提供、またこちらの要望にも快くご対応いただきました。
思い浮かんだアイデアや方向性に対しても、真摯に向き合い、地域の方としての感覚をもとにご意見をいただけました。
そのおかげもあって、地元感覚に寄り添った作品できたかなと。
そして、以前ちらっと書きましたが、取材1日目の夜、食事をご一緒した熱い人こと、地元商工会のMさん。
地元で印刷屋さんをされている一方、地域の盛り上げにさまざまな形で尽力されており、島原コスプレの乱などの企画を実現している方です。
築城400年記念事業実行委員会の祝祭交流イベント部会長も勤めておられ、精力的に活動されています。
お話ぶりなどは一見のんびりした方なのですが、内に秘めた熱量がすさまじく、松倉重政の墓所へ1年以上にわたり日参されているとのこと。
串カツをつまみながら築城400年への想いをたっぷりと語ってくださいました。
そんなおふたりの道標になった方がいらっしゃったと言います。
それが、先日亡くなられた郷土史家・松尾卓次先生でした。
地域で教職として勤められ、その後は地域の歴史を丁寧にご研究されて、生き字引とも言われた方です。
私が現地を訪ねたとき、すでに体調を崩されていてお目にかかることは叶いませんでしたが、ご研究をまとめた資料をSさんからお預かりしました。
公式な記録がほとんど残っていない重政時代のことを、島原城を中心に、丹念に検証されていたことが資料からうかがえました。
そのうえで、松倉重政の再評価を願われていらっしゃった。
"この街を作ってくれた松倉さんに感謝せんと"と繰り返しおっしゃっていた、とMさんが仰る姿がとても印象的で。
実際のところ、松倉重政という人物は決してメジャーな人物ではありません。島原の乱に絡んで名前を聞いたことはあっても、その経歴を知っているのは余程関心の深い方で、一般的に固有のイメージを持たれるほど有名な人ではないでしょう。
だからこそ、乱の原因として後世から遡って解釈された部分もあるでしょう。
「歴史を現代から裁くような小説は悲惨なものになる」
私が日経小説大賞受賞時に、選考委員の辻原登先生にいただいた言葉です。
であればこそ、重政の半生を順に追ったうえで、島原城築城に至る物語にできないかな、と考えたのが本作でもあります。
さて。繰り返しではありますが。
今年、島原城は築城400年を迎えます。さまざまな経緯を経て、城は地域の皆さんに思いを寄せられ、地域のシンボルとして親しまれて、さまざまな記念イベントが企画されています。
どうぞ、この祝祭に心を寄せていただければ幸いです。