政治と宗教
チャンス・チャレンジ・チェンジ
今を好機ととらえ政治と宗教に物申したく挑戦状を突きつけ闘いのために変身します。
子供の頃の私はよく一人遊びをしていました。そこは九州は佐賀県小城町(現小城市)円光寺という所に住まいしていました。
しかし、この記憶は幼稚園時代のものからでそれ以前の記憶はハイハイしていた頃ですから生後5ヶ月ごろぐらいでしょうか、二階から階段を滑り落ちたそうです。これは母親が教えてくれたことです。
私には二歳(学年は三っつ)年上の兄がいました。その兄に
「勝つ子がいるから襖開けてはダメよ」
と言って母は洗濯に行きました。が、兄はその約束を忘れ襖を開けたようです。
好奇心からか母がいない寂しさからかハイハイで階段まで行き、滑り落ちたようです。この当時すでに乳歯が生えていたようで歯を痛めたと言います。
この時の母の心境はどうであったでしょうね。母は語ってくれなかったみたいです。でも、後に私はこの出来事で母を恨むようになったようです。
今思えばそれは「愛情不足」と感じたのでしょう。
とにかく子供時代は怪我が絶えなかったようです。とてもヤンチャでした。
そのヤンチャの証明は御近所の主婦の方々から次のような言葉をいただきました。「男の子の中で女はかっちゃん一人よ」という言葉です。
これは母の愚痴として聞かされたようです。母は女らしい人でしたから、
この言葉はとてもショッキングだったようです。
が、しかし、見た目と違い、母はどんな仕事もこなす達人でした。
私がなぜお転婆になったのかはいつも兄と行動していたからだと思います。
なにせ母の仕事は子供に手をかける暇がないほど忙しかったからです。
父はいい伴侶を持った。ところがである父はそんな母になおも不足を持った。
父と母の喧嘩を見たのは小学生の頃だ。この時はとても悲しかった。
なぜ悲しかったのか、それは自分の存在が否定されたような気がしたからだ。
もちろんどうして子供が生まれるのかという知識はその時ありません。
私たちがそのことを聞くと、父と母はこう答えました。
「川上からタライに乗って流れてきたのを拾った」
とか申しました。
「へえ〜拾って育ててくれたのか」と感心して聞いていたと思います。
そこに桃太郎の話をかち合わせたのかまでは記憶がありませんが、
「かぐや姫」のお話もそのように生まれたのかもしれません。
まあこの話がまるっきり嘘とわかるのは随分と後の頃になります。
今日は幼少(1)ということで終わります。
では、本日もつつがなくお過ごしくださいませ。
ありがとうございます😊