「平和の鐘」第1話
廃墟と化した移動遊園地の跡地に、赤い風船を持った少年が一人立っていた。
足の踏み場もないほどに雑草が生えた敷地内を歩いてゆく。メリーゴーランドだったと思しき乗り物は茶色く錆び付き、辛うじてその形を留めていた。
風に揺られ、キィキィと奇妙な音を立てる観覧車。蔦の絡まる柵の前で歩みを止めた少年は、空を見上げた。
小柄な身体にアルビノを思わせる真っ白な肌。殆ど白髪と言って良いプラチナブロンド、そして透き通るような青い瞳。
少年は、両親から名前を呼ばれた事がなかった。薬物中毒の母親と彼女の身体を売って日銭を稼ぐ父親。本当の父親は誰だか分からない。
少年には名前がなかった。大人達は、彼をITと呼んでいた。
「僕の名前はキング」
そう独りごちた少年は、ゆっくりと観覧車の頂上を目指して登っていった。
頂上に登って見渡しても、世界が開ける事はなかった。
ひび割れたアスファルトが、夕焼けの向こう側まで広がっているだけ。
唯一例外だったのは、既に先客がいた事だった。
如何にも死神然とした骸骨の男。彼は大鎌を肩にかけてキングを見ると、退屈そうにあくびを噛み殺した。おざなりな挨拶をする。
「あー、どうも。死神です」
「へえ……本当にいたんだ」
表情を変える事なく答えたキングは、死神の姿を一瞥すると隣に座った。
彼は今朝方、両親を殺害した。
殺されそうになったから殺したとも言えるし、偶然が重なったとも言えた。
当然、明確な殺意があったからとも言えた。
死神は立て膝をつくと、ポリポリと顎を掻きながらキングに語りかけた。
「これから自殺しちゃうって感じっすか。まあ、生い立ちが生い立ちですもんね」
「見てたの？ そうだね。この高さなら、即死出来るでしょ」
「飛び降りで一発って感じですかね。でも、もったいないな。取引出来ますけど」
「僕には何もないよ」
「脳みそなんかは査定に時間がかかるんでアレっすけど……例えば、右目だったら査定に一秒もかからないっす」
「へえ……じゃあ、取引しよう。見返りにこの遊園地を動くようにしてくれないかな」
意外、という顔をしたのは死神の方だった。こんなにもあっさりと取引に応じるとは。しかも、こんな僻地のちっぽけな移動遊園地を動かすだけでいいだなんて。
「まいどあり」
そう独りごちた死神は、キングの右目に手をかざすと遊園地を蘇らせた。
「すごい！ 遊園地だ！ ああ……僕、一度で良いから遊園地でアイスクリームを食べてみたかったんだ」
「そうなると、次は他の部分との取引になるんですけど。左目か耳辺りが妥当でしょうかね」
「そっか」
「あ、でもこれから飛び降りるんスよね？ だったら、その分ツケといても良いっすよ」
「え？ そんな事出来るの？ 君、優しいね」
照れ隠しに頭蓋骨を掻いた死神は、キングを抱きかかえて地面へと下ろした。
足を踏み入れた時には見る影もなくなっていたアイスショップが、甦っている。死神からカラースプレーたっぷりのアイスクリームを受け取ったキング。彼は無邪気な笑顔を浮かべると美味しそうにそれを頬張った。
日が暮れ、星が瞬き始めている無人の移動遊園地。キングは生まれて初めてのメリーゴーランドを堪能した。
「楽しかった。ありがとう」
観覧車に乗車したキングは、目の前に座る死神へ感謝をした。この観覧車は頂上で止まる。降りてからすることはもう決まっていた。取引に応じて地面に飛び降りる。その先は何もない、無の世界だ。
悲しいけれども、彼に残された時間は後わずかだった。
「魂を売っていただければ、もっと生きられますけど」
「でも僕、親を殺しちゃったからな」
「欲のない人だなあ。まあ、貴方みたいな人が多いんすけどね。人生どん詰まりになるの」
「ハハッ、ねー。テレビドラマみたい」
この子の他人事っぷりは、教養のなさから来てるんだろうな。そう思った死神はこれ以上取引を持ちかけるのを止めた。二人して黙ったまま、殆ど落ちかけている夕日を眺める。
「ああそうだ、僕の宝物。最後に受け取ってくれるかな」
「はあ……風船ですか。ありがとうございます」
キングから赤い風船を渡された死神は、如実に興味なさげであった。けれども、確かにそれを受け取った。
「最後に良いことを教えてあげる。僕、死神になりたいんだ」
「……え？」
それはあまりにも一瞬の出来事だった。
大鎌を奪ったキングは、容赦なく死神の首を撥ねた。
死神はその場で崩れ落ちるしかなかった。切り離された頭は、キングが踏みつけている。マントを奪ったキングは、嬉しそうにそれを羽織った。
笑顔で口を開けたキング。彼の舌には、死神と取引したはずの右目が載っていた。
「風船を受け取ったでしょ？ 取引だよ。僕の名前はキングっていうんだ」
「名前なんかどうだって良いんだよ！ 俺を出し抜きやがったな！ 足をどけろ、クソガキ！」
キングは相変わらず感情の籠もってない笑顔で足に力を入れた。ビシッという音と共に死神の頭蓋骨へヒビが入る。
「だから僕はキングなんだよ。トランプだと13がそうじゃない。タロットで13は？ 知ってるでしょ」
「はあ？ 最初から死神になるつもりだったとでも言いたいのか！」
「僕、両親を殺すの楽しかった。世の中には死んだほうがいい人、沢山いるんだよね」
「人間に乗っ取りなんか出来ないぞ！ ふざけるな！」
「僕は死神の平和利用がしたいんだ。取引は成立してるよ。だって、右目が戻ってきてるもの」
そう言ったキングは、足に力を込めて死神の頭蓋骨を粉々に砕いた。連鎖して死神の胴体も、粉々に砕け散り砂の山と化す。キングは口笛を吹きながら観覧車の扉を開けた。夜風に死神の残骸を流してやる。
夜の闇へと飲み込まれてゆく砂を見つめながら、白マントと大鎌を手に入れた少年。死神を乗っ取ったキングは不遜な笑みを浮かべていた。
僕の名前はキング。
さあ、夜はこれからだ。
キングは、自分が両親からITと呼ばれていた頃の夢を見ていた。
彼は生まれてから……いや、母親の胎内に居た頃から、オンボロのトレーラーハウスで過ごしてきた。村とすら呼べない集落で、国籍のない酷く貧しい人達と暮らしてきた。
半径700メートルが彼の全て。
キングは15歳になるまで、その集落で過ごした。
年齢だって本当の所は定かでない。
物心がついたのを三歳と仮定して、彼は年齢を指折りで数えてきた。
彼には友達がいなかった。同じ年頃の子供がいなかった訳ではない。
ただどういう訳だか、ある一定の年齢になると子供だけが行方不明になってしまう。大人たちは、そんな子供など端から存在していなかったものとしていた。
消えた子供と引き換えに得た金で、少しばかりの贅沢を楽しむ。あっという間に金が底をつくと次の子供を作る。それがこの集落の日常だった。
彼の両親はこの中では、まだ働き者だった。週の半分はトレーラーハウスを空けて、出稼ぎに出る。エンストを起こしてばかりの車に薬物中毒の母を乗せ、父親が客を取る。
行為は車中や、公衆トイレで行われた。かかるコストと言えば母親の薬代とガソリン代くらいのもので、見方によっては非常に合理的なビジネスモデルと言えた。
しかし、父親は母親という商品に手を出そうとはしなかった。既に、治療が不可能な性病をうつされていたからだ。かと言って、似たような売春婦を買うような気前の良さもない。
父親にとって性処理をするのは、幼いキングで十分だった。物事には、必ず理由がある。キングが行方不明にはならずに済んだ理由は、たったそれだけの事だった。
真っ白な肌、アルビノを思わせるプラチナブロンド、透き通るような青い瞳、猫のようにしなやかで小柄な身体。
キングは、幼い頃から自分の美しさを理解しているような所があった。簡単な話である。生き抜くためだ。父親からどれだけ酷い蹂躙を受けようとも。
キングは、35もあるTVチャンネルの番組表を全て暗記していた。しかし、それが他人とどれだけ違うのかを理解する術がなかった。
大人達は即物的な快楽に溺れて何も見ていない。
子供達はある時期が来ると、行方不明になってしまっていたから。
父親が酒臭い息を吐きかけながら、キングにのしかかる。母親はとっくの昔に壊れていた。
「俺は潔癖症なんだ。汚すなよ」
……！
脂汗まみれで目を覚ましたキングは、震えながら周囲を見渡した。けれども、目に入ってくるのは深い森の闇と、今にも降り落ちて来そうな星空だけだ。
木の上でうたた寝していた事を思い出したキングは、額の汗を拭って安堵のため息をついた。自分に優しく言い聞かせる。
大丈夫。
アイツは永遠に僕の前に現れない。
僕にはやるべき事がある。
居なくなった子供たちを助けるんだ。
死神に成り代わったキングは、集落へ戻ってきていた。
自分が生まれ落ちたトレイラーハウスに足を踏み入れる。壁に飛び散った血と床に広がる血溜まり。腐敗して風船のように膨らみ始めた両親の死体に誰も気づいていなかった。この集落ではこんな出来事も日常の一コマに過ぎないからだ。
キングは両親の死体にそっと手をかざした。
カラカラと回転草が回るような乾いた音と共に両親の死体が燃え上がった。激しい火の手はあっという間にトレーラーハウスを包んでいった。火は勢いを増して燃え広がり、30分もかからないうちに集落を燃やし尽くしていった。
業火の最中を大人達の阿鼻叫喚がこだまする。キングは白マント姿に大鎌を抱えて涙を流していた。
「もう二度と、生まれ変わって来ないで。子供たちを取り返してやる……僕達はお前らの玩具じゃない！」
涙で声を震わせながら、キングと言う名の死神は祈りと祝福を捧げた。
◆
少年はつい数日前15歳になったばかりだった。
少年の名前はヨハン。バースデーは父親だけが祝ってくれた。母親は、二年前に病死した。
小さな頃から内気で人と関わりたがらなかったヨハン。彼は、無理やり学校へ通わせた両親の事が好きではなかった。
それでもいざ通ってみれば、それなりに友達が欲しくなってみたりもする。けれども、ヨハンには友達がいなかった。虐められていたからではない。好きな話をすると、クラスメイトが気味悪がって彼から距離を置いたからだ。
いつからかヨハンは誰とも話さなくなり、学校も休みがちになっていった。
二週間ぶりの学校。ガヤガヤと賑やかな音を立てるクラスに入っていっても、誰一人として、ヨハンの存在に気づいていなかった。
教室を見渡したヨハンは、ニヤリと笑った。
妄想が彼の脳内を追随してゆく。
この学校で銃を乱射する自分の姿を。
弾を込める感触と撃ち抜く快感、そして硝煙の香り。
逃げ惑う同級生にだって容赦しない。
そして、僕は世界が認める英雄になるんだ。
「お前らなんか一人残らず……」
出かけた言葉を飲み込んだヨハンは、静かに教室を後にした。
「ねえ、何か今いなかった？」
「いた？ 全然気づかなかった」
クラスに居た同級生達の悪意なき言葉に、ヨハンの背中が微かに揺れた。
中庭に出ようとした所で、殆ど白髪に近いプラチナブロンドが目に入った。すぐさま髪の主が振り返ったので、ヨハンはギョッとしてその場に立ちすくんでしまった。
少年は、同性から見てもうっとりするような美しい顔立ちをしていた。
半分潰れてしまったような右目が特徴的な少年。医者が診れば斜視と呼ばれる類いのものだろう。
しかしそのアンバランスさが、余計に美しさを際立たせている。天使のような微笑みを投げかけられたヨハンは顔を赤らめながら、こんな生徒ウチの学校にいただろうかと考えていた。
「あの……君、転校生？」
「初めまして。僕、キングって言うんだ。年齢は多分、今年で15歳。あのさ、聞きたいことがあるんだけど。学校ってどうすれば入学出来るの？」
ヨハンは、キングと名乗る少年の発言が丸っきり理解出来なかった。困惑で目が泳いでしまう。
多分、15歳ってどういう事だ？
出生届を見たことがないのか。
学校に入学ってのも……ここは公立だ。放っておいても入学できる。
ヨハンはキングをそのまま無視して通り去ろうとした。しかし、なんとなくやり過ごす事が出来ずに問いかけた。
「君、他の国から移住してきたの？」
「生まれはこの国だよ。僕、生まれてから一度も学校へ通ったことがないんだ。だからその……手続きをどうしたら良いか分からなくて。制服は取引してもらったんだけど」
「ああ……そういう事か。僕のクラスにも似たような生徒がいるよ。施設とか里親が手続きをしてたけど」
「施設には行きたくないな。里親も要らない。親の所から逃げてきたばかりなんだ」
キングの言葉に急に興味を覚えたヨハンは、彼に近寄ると手を差し出した。
この少年は虐待されてる。
間違いない。
一体、どんな暴力を受けてきたんだろう。
その美しい佇まいから想像される暴力に、ヨハンは下半身が熱くなるのを隠せずにいた。
きっと殴る蹴るなんかじゃ済まない。
酷く残忍な暴力を受けていたに違いない。
本当は小動物なんかじゃなくて、人間を相手にそういう事をしたいのに。
虐待がこれだけありふれてる世の中なんだ。
そういう話の出来る友達が出来ると思ったのに。
皆、普通を装った偽善者だ。
「多分15歳なら、僕と同い年だね。話をしようよ」
「……ありがとう」
キングの白い手が伸びてきて、差し出された手をそっと握り返した。ヨハンは思わず捻り潰したくなる衝動を抑えて微笑み返した。中庭を抜けて少し行った先の、今では使われていない旧校舎へと歩みを進めてゆく。
「親に何をされたの？」
「君が想像している事で、大体合ってるよ。けれど、想像にない事もある。僕は、両親を殺した」
ヨハンは眩暈を覚える程に興奮していた。目の前の少年は殺人を犯した。その事実に喜びを隠しきれなかった。
誰にだって、僕と同じ願望があるはずだ。
太陽が翳ってきて、二人の表情に影を落とした。
「どんな風に殺したの？ 良かったらその……教えてくれないかな」
「母さんは薬物中毒だった。薬が切れて僕を刺したんだ。父さんは僕が成長してきてたから、それで良かったみたい。俺はゲイじゃないって言いながら、背中を向けてビールを飲んでた」
「それで？」
「自分の中で何かが切れたんだ。僕は、僕だよ。生きる権利がある。名前だってあるんだ。決めるのは、僕だ。それで……気がついたら、両親を殺してた」
ズボンの前を隠したヨハンは、興奮して笑っていた。キングは、喜怒哀楽を殆ど表現したことがない。表現をする機会がなかったのだ。表情ひとつ変える事なく話をするキングが、ヨハンには自分と同類……真の英雄のように映った。
「キングは実行に移せたんだね。羨ましいよ。楽しかった？ 僕だって本当はそうしてやりたいんだ」
「楽しかった。ヨハンは、両親から僕と同じことをされていたの？」
「いいや。つまらない両親だよ。母親は、二年前に病死したんだ。病気の原因はストレスとか言ってたな。行きたくない学校へ無理やり通わせた罰さ」
「学校へ行きたくないなんて事あるんだ……そういえばTVで見たことがあるな。いじめられてたの？」
「別に。でも好きな話をすると、皆気味悪がって僕から遠ざかるんだ」
小動物を電子レンジで殺した話。火をつけた話。いつか、人間にもそうしてみたい話。
誰も耳を傾けてくれない。
小動物を殺している所を、母親に見られてしまった事がある。泣きながら、それでも貴方を愛してるとか言ってた。無理やり病院へ入院させようとした。
だから、毎日少しずつ母親の食事に混ぜたんだ。タリウムを。けれども、中毒を起こす前に胃癌であっという間に死んでしまった。
ぶり返してくる怒りにブツブツと独り言を言っていたヨハンは、ふと気配が遠ざかったのを感じて顔を上げた。ザーッと木々を揺らす風が、旧校舎のカビ臭い匂いと共に吹き付けくる。
隣に居た筈のキングがいつの間にか、10メートルほど離れた場所に立っていた。旧校舎が落とす影で、表情がまるで分からない。プラチナブロンドの髪が風に揺れていた。
「ヨハン、君は人を殺したいんだね。僕が叶えてあげる。取引しよう」
キングは淡々と告げると、右目の眼球を掌にポトリと落とした。その光景に酷く驚いたヨハンが駆け寄ろうする。が、足が全く前へ出ない。代わりに、掌に眼球を載せたキングがゆっくりと近付いて来た。
「君が動けないのは、僕の力だよ。僕は、死神なんだ」
「……冗談だろ？」
「冗談じゃないさ。ほら」
キングの眼球が掌から浮いたと同時に、ヨハンの身体も浮き上がった。眼球がゆっくりと回転すると今度は、身体がゆっくりと回転し始める。ヨハンは唖然とした表情でキングを見つめた。
「信じてくれたかい？」
「ああ、キング。信じる、信じるよ。だから降ろして。取引したい」
キングは相変わらず無表情のままヨハンを地面に降ろしてやると、顔を覗き込んだ。ぽっかりと空いた眼窩が、全て現実だと物語っていた。
「キング、僕は人を殺したい。思い切り痛めつけて、泣き喚く様がみたいんだ。見返りに何を渡せば良い？」
「僕は……学校に通ってみたい」
「そんなのお安い御用さ。親父は僕の言う事なら何でも聞くんだ。キング、取引しよう」
キングは青い宝石のような眼球を舌の上に載せると、初めて笑ってみせた。
「ヨハン。取引は、成立だ」
◆
ヨハンは天井から床まで全て真っ白な、窓のない部屋の中にいた。
拘束服を着せられて、頑丈な扉についた窓からは、死んだはずの母親が泣きながら覗き込んでいる。
「なんだこれ……どういう事なんだよ！キング！」
ヨハンは拘束服を脱ごうともがいた。がしかし、ぎっちりと締められたベルトはビクともしない。両手両足を縛られているせいで、まるっきり芋虫のようだ。
ヨハンは別の世界線に連れて来られていた。思っていた取引とはまるで違う状況に置いていかれたのだ。
あの野郎……僕を騙したな！
怒りを爆発させたヨハンは、壁に頭を思い切り打ち付けた。何度も激しく打ち付ける。すぐさま屈強な男性看護師が入ってきて、暴れる彼を押さえつけた。
開いた扉から、死んだはずの母親と医師の会話が聞こえてくる。
「あの子……良くなりますよね？」
「お母さん、一旦離れましょう。貴方は毒を飲まされていたんですよ。心配なのは分かりますが、小動物を殺すケースと言うのはですね…………」
「なんで！ なんで母さんが生きてるんだ！ おい、死神！！ 出てこい！」
「妄想や幻聴、幻覚と言った症状も出ています。鎮静剤で抑えてはいますが……ああ、君。彼の傷を処置するなら、鎮静剤も用意して」
「僕はおかしくなんかない！キングっていう死神と取引をしたんだ！アイツが人殺しさせてやるって持ちかけてきたんだぞ！」
ヨハンは頭からダラダラと血を流して、まさしく大声で泣き喚いていた。
ふざけるな、あの死神。
白い部屋から遠ざかる母親と医師。彼らとすれ違いに注射器を持った看護師が近付いて来た時、ヨハンはようやく全てを理解した。
「なるほど、キング。僕も人って事か」
ヨハンは獣のような唸り声を上げると、その場で舌を噛みちぎった。
彼が絶命するまでの数分間、何を考えていたのかは誰にも分からない。しかし看護師の報告によると、血を吐きながら笑顔を浮かべていた瞬間があったという。
「ヨハン。君は殺せれば誰だって良かったんだろ」
旧校舎の影から太陽の下に顔を晒したキングは、右目を掌で覆いながら空を仰いだ。
「ねえ、これ誰だか知ってる？」
「ヨハン？ 誰それ。卒業生かなんかじゃないの？」
「嫌だあ、ロッカーにもラベル貼ってある。タチの悪いイタズラだよ、コレ。幽霊みたいじゃん。気持ち悪い……先生に報告しよ」
「ハイハイ！ 皆、座って！」
オカルトめいた奇妙なイタズラにざわついていた生徒たち。彼らは一人の少年が教室に入って来たのを目にすると、直ぐにそちらへ夢中になった。
アルビノを思わせるプラチナブロンド、透き通った青い瞳、白い肌と猫のようにしなやかで小柄な身体。そして、特徴的な美しい斜視。
「転校生を紹介します。君、自己紹介をして」
教室を見渡した少年は、ニヤリと笑った。
「初めまして。僕の名前は、キング。キング・トートです」
かつてITと呼ばれていた若き死神。
キングの冒険は、始まったばかりだ。
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