【漫画原作】みそぎはらい【読み切り短編】
……ああ――暇だ、暇だ。
おや、こちらに見えるのは初めて? いやね、先程から貴方の事は、奥の草むらから覗いていたんですよ。こんなに暗くて足場の悪い川っペリでもね、まあなんて言いますかねえ……追い剥ぎ、のような者が出るんです。あんまり無防備なのもどうかと思いまして、ええ、声を掛けさせて頂いたんです。
お気づきでない?
貴方、だいぶ無防備な様子でいらっしゃいますよ。灯もないのに、あっちヘフラフラこっちへフラフラと、歩き回っていたじゃないですか。こっちが肝を冷やしました。
私ですか?
私は、人待ちをしているんです。昨日は雨が降りましてね。今日はほら、あれを御覧なさい。川があんなに増水してしまって。これじゃあ待ち人だって、こちら側には渡ってこれやしません。
雨が降る前は、焚き火なんかもしていたんですがね。着物だって、濡れちまってこの様だ。袖に入っていたマッチが、使い物にならなくなってしまいました。
そんでまあ……腹は減らないし、やることもないってんで、ずっとぼんやり座っていたんです。
ほう、貴方は探している方がいると。
今宵はお止めになった方が、宜しいんじゃないですか? 悪い事は、言いやしません。さあ、こちらにお座りなさい。さっきから見てれば、ずっと立ったままじゃないですか。別に取って食おうだなんて、考えちゃいません。私だって、一人で待っているのが寂しいんですよ。
宵の祭りでもあったんですか? その、狐の面。どこかで見た記憶があるんですよねえ。小さい頃、田舎の祭りか何かで、似たような面を見たんでしょうね。ありふれた色形ですし。
見た感じ、私より歳が少々上のようでいらっしゃる。誰を探しているか、当てて差し上げましょうか? 祭りではぐれたお子さんでしょう。
こんな辺鄙な場所で、宵祭りなんてやっていたんですね。全く気づきませんでした。だって、ねえ? この川を見てくださいよ。滝じゃあるまいし、ザーザーうるさくて祭り囃子もへったくれもありゃしません。
この奥はね、杉林になってましたよ。で、なんだか獣道みたいなのがずぅーっと伸びているんです。雨が降る前に、焚き火を持って進める所まで進んでみたんですよ。
ただ、なんというか……気配は感じるのに、人独特の音や匂いってあるじゃないですか。そういったものが全くないんですよ。いやあ、薄気味悪いったらありゃしない。一人でまた行けって言われても、御免被りたいですね。
幽霊だなんて考えただけで、背筋が凍りそうですよ。
貴方もその面、取ったらどうですか?
こんな場所で狐の面だなんて、洒落にならないですよ。私、臆病なんでね。
え?
追い剥ぎが出ると、私が言った?
ああ、ですから。
残穢が全くないのに人の気配だけがあるから、ほら貴方がつけている面。そういう物をつけた、悪い奴がいるんじゃないかって思ったんです。
息子さんが心配ですか。
生憎、私には妻子がおりませんでしてね。まあ、俗に言う女嫌いというやつです。だから、本当に安心してくださって大丈夫ですよ。
妻子がいるような歳に見えない。ハハ。確かにそうかもしれませんね。
私の女嫌いは、母親から来てましてね。こんな話を、赤の他人にしちゃっていいのかな。まあ、ずっと待ちぼうけをしているから良いか。貴方も、暇つぶしの与太話だと思って聞いてください。
母は、男がいないと生きていけない人でした。父親の顔は、見たことがありません。でもね、私はそんな母が大好きだったんですよ。さっきと言ってることが違う? そりゃ、幼子ってのはそんなもんですよ。存在自体、矛盾の産物みたいなものじゃないですか。
でね、話を戻しますけど。
私の中にある、父親の面影をうっとりと見つめる母親の顔が好きでした。
けれどね、それが続かないんですよ。長くても半年、続かないんです。
すぐに新しい男を家に連れてくる。また、あれだこれだと世話のかかる男ほど好むんです。手をあげる男が来た日なんかには、自分しかこの人を理解してあげられないってね、無邪気に悦ぶんですよ。
断じて母は、淫売なんかじゃありゃしませんでしたよ。
むしろ一途過ぎるくらい、一途でした。男へ夢中になっている間は、私の中にある父親の面影を酷く嫌悪していたくらいですから。そうして捨てられると、また私の元へ帰ってくるんです。一緒に住んでいたくせして、おかしな言い方になりますがね。必ず、私の元へ帰ってきていました。
そう言えば、ちょうどこんな宵だったなあ……何度目かの男に捨てられた母と、祭りに行きました。私は……そうだな、貴方より頭一つ、大きいくらいの背丈になってましたかねえ。
母は、男から捨てられる度に、少しずつおかしくなっていきました。坊や、なんて言ってね。りんご飴を買ってくれたかと思えば、しなだれかかるようにして、腕を絡ませて来たりするんですよ。
田舎の祭りですから、知り合いにそんな姿を見られるのが恥ずかしくてねえ……やめてくれよ、なんて言って手を振り払ってしまいました。当然でしょう? ベッタリとくっついている方が、不健全ってなもんじゃないですか。
そうこうしているウチに、少しおかしくなった母を見失いましてね。直前まで、お面売りの屋台前にいたはずなんですが。神隠しにでも遭ったんじゃないかってくらいに、忽然と姿を消したんです。途中から雨も降り始めて、そりゃあ慌てて探しましたよ。
足を滑らせて、どこかで頭でも打ってるんじゃないかってね。
田舎の祭りですから、居そうな場所を探して歩くのは苦じゃなかったですよ。人はそれなりに多かったですけれど、狭い場所でごったになっているだけですから。
神社を抜けて、杉林を抜けて、こんな所に獣道なんてあったのかって場所まで探しました。祭り囃子が随分、遠くなってしまったなあと思った所で、母を見つけたんです。
私の同級生とまぐわってました。
何番目のでしたかねえ……家に連れ込んだ男と思い込んじゃってまして。しきりに名前を呼んでは、戻ってきてくれたのね。嬉しい。なんて言ってるんです。
同級生は、私の母だと知ってました。けれどね、尋常小学校を出て数年かそこらの坊主が、女の肌を拒むなんて出来る訳がないんですよ。同級生なりに罪の意識があったんでしょうね。狐の面を母にかぶせて、後ろから突いてました。
私に見つかって、同級生は仕舞うもんも仕舞わないで逃げ出しましたよ。叫び声くらい上げたら良いのにって思いましたね。まるで私が、悪い奴か幽霊みたいじゃないですか。
着物をだらしなくはだけさせたままの母に、おいおい同級生はそんな名前じゃないぞって、言ってやりましたよ。全く、みっともないったらありゃしない。
それで、雨も降ってるし帰ろうって手を引いたら、アンタとなんか一緒に行かないって喚き始めたんです。
ガキが出来た途端、私を捨てたくせにって。
――……ああ、思い出しました。
貴方でしたか。
私の母は。
待ち人は、貴方だったのか。
なんであんな事をやっちゃったんです?
元々、顔と身体くらいしか取り柄のない女だったじゃないですか。
それが頭、おかしくなっちゃって。
年齢だって……ねえ?
一緒にいてあげられるのは私だけって、どうして分からなかったのかなあ。毎晩、添い寝をしてやってたんだから、それぐらいは覚えられたでしょうに。
貴方の顔を石で潰したのもね、また同じことをやると思ったからです。ついでに頭まで潰れてしまうとは思ってなかったから、吃驚したなんてもんじゃなかった。
殺意? そんなもの、あるわけないでしょう。
当然の成り行きだったんじゃないんですか?
でも、どうしてだか分からない事があるんですよね……貴方を置いて、走って家に帰ってしまった。すっかり雨の上がった翌る日、家に火を放ちました。
袖に入っていたマッチは……ああ、思い出した。その時のものか。
それから、私はどうしたんだろう。
――……もしかしてここ、三途の川ですか?
なるほどねえ、賽の河原。道理で一向に渡れないワケだ。
ほら、母さん。見てください。掌が焼け爛れ始めてますよ。
ほらほら、ちゃんと見て。身体中、爛れ始めてる。
私も馬鹿だなあ、あの家に残っちまったのか。
どうやら、死んでる最中みたいです。
あんな家、消えてなくなれば良いんだって、燃やしたはずだったのに。
どうしてこんな事になっちゃったんでしょうねえ。
私は自分の事を、貴方とは違うと考えてました。
情に溺れて、頭がおかしくなるような人間ではないと信じていたんですが。
親子って、どうやっても似るものなんですね。
そう言えばその着物、どうしたんです?
私が最後に見たものとは、違うじゃないですか。
え?
お前の父さんとお前を連れて初めて、宵祭りに行った時のもの?
そんな、私の記憶にないものを着て、探し回ってどうするんですか。気づくわけないでしょうが。そんなんだから、貴方は男から捨てられてばっかりいるんですよ。男心ってものを、まるで分かってない。
いくらでも学べる相手がすぐ隣にいたってのに、つくづく愚かな人だ。
そんな貴方に溺れて正気を失った、私も私なんでしょうけど。
……ああ――暇だ、暇だ。
それにしても退屈だ。
この川、いつになったら渡れるんでしょうね。
貴方は私より前に死んだってのに、まだここにいるし。葬式を出さなきゃいけないんですかね。けど、ウチにはお金なんてなかったし。
まさか思い残した事があるとか、そんな綺麗事を言やしませんよね。
――ねえ、母さん。
どうです?
暇がてら、私に抱かれる気はないですか。
貴方を最初に捨てた男と瓜二つですよ。
息子の同級生から狐の面をかぶせられて、あられもない姿を晒すよりは、よっぽど健全だと思いますがね。貴方の肌は、私が一番良く知ってるんです。きっと扱いも、どの男よりも良いようにしてやれますよ。生まれた時から、ずっと貴方に触れてきてるんですから。
私も結局、女の肌を知らないまま死んでしまったみたいですし。
どうですか?
どうせ渡った先は地獄です。
私達親子は、同罪なんですよ。
だったらここで、禊ぎを祓ってから参りませんか。
二人共、永遠に赦されそうもないですが。
それもまた、一興。
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