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生きる事=修行っていうけどw

こんにちは。

このブログにお越しいただきありがとうございます。

生きていたら色々あるよね~♪
逆に何もなかったら楽しくないよね✌

人間は面白いもので、やってみたいことが出来てしまうと、しばらくは幸福感や「幸せ~」と感じていられるのだけど、なんと一定期間が過ぎると当たり前になってしまうんだって。

金メダルを取るために日夜人生をかけたアスリートたち。そしてオリンピックだけでないけどワールドカップや世界中の大会でその時のその種目での1番になった人だけが手にする「金メダル」

もらったらさぞかし嬉しいよね!

私もそう思ってたのだけど、実際のところは、うれしいのは長くて1年だそう。だってうかうかしていたら他の切磋琢磨しているアスリートに自分がとった金メダルを次の大会で奪われるということだものね。

まあ、人に奪われるというようなネガティブな見方をしなかったとしても、「喜び」は束の間だということらしい。

別の例を挙げると、宇宙飛行士の人の話。宇宙飛行士は想定外がつきものなため、文武両道でないと成り立たないし、選ばれるために身につけないといけないことが多々ある。語学もそうだろうし、様々な知識と同様に、肉体も鍛えないといけないし、狭いコクピットや宇宙ステーションでの少人数で問題が起こった時に解決するためのコミュニケーション力や問題解決力も試される。

私がびっくりした宇宙飛行士の訓練の一つが真っ白のジグゾーパズル。絵も何もない真っ白のピースを形を合わせながら何千というピースの中からその場所に合うはずのピースを選び出すという根気のいる作業。この忍耐力を試されるのが宇宙飛行士だという。

そうやって頭脳、体力、忍耐力を鍛錬した宇宙飛行士が任務を果たした後、うつ状態になるということを聞いたことがある。

人生をかけた学習、そして肉体の限界を超えた任務、それを果たした後何を目的にしたらよいのか?って思ったら地球に戻りたくなくなってしまうんだって。

なんだかわかるような、想像だけはできるけどね。

そこまで素晴らしい経験をしなかったとしても、すごい経験をしたりすることあるよね。ファンだったアイドルに偶然出会えてしまった、そして握手したり、サインをもらったりした!なんていうラッキー体験。

でもそれって3日くらいでまた元の気持ちに戻らない?その嬉しい気持ちが一生続くってことないよね?

何がいいたいかというと、日常、何の変哲もない事、たとえば、空気があることって当たり前~。そうそう地球上から空気がなくなったら不幸だよね。

まあ、無くなることないからははは、といって笑っているとしたら、もしかしたら不幸。かつての私もそうだったw

でも、工場からもくもく煙が出て、自分が吸える空気が汚れて、色々な化学物質が空気と一緒に肺から体に入って例えば喘息だったり、アレルギーだったり、または命に関わる病気になったら、、、、普通に安全に吸える空気が当たり前にあること、それ自体が感謝だよね!

人間は究極の状態にならないと、「今ある当たり前」に感謝できないんだよね。だから逆に言うと、「当たり前の環境」に感謝出来たら、その人は毎日「生かされていて感謝だよ~!」と喜びにあふれて生活できるというわけ。

これって最高じゃない?

空気があることが最高!感謝!って思えるんだよ!?
日本は当たり前に水道から飲める水が出る。これだって断水してしまったり、水害でそこらじゅうに水はあるけど飲める水ではなかったりしたら、そこでようやく、何事もなく水道から飲み水が出ることに感謝できる。

だったら水害になったり、断水になる前にフツーに水道から水が出ることに心から感謝出来て「有難いよ~!」と思えたらその人超ハッピーだよね?!

私は馬鹿みたいに小さなことに感動したり、喜んだりできる人になりたいな~♪

って今本気で思ってる。だって誰にも知られない超ハッピーな生き方だと気づいてしまったから。

この20年、いろいろ義母とはあったけど、いろいろあったから考えたり、泣いたり、怒ったり、傷ついたり、笑ったり、幸せを感じたり。。。

出来ることは全て試して、義母を怒らせたりしたよ。でもその時怒らせるつもりがないのに「この人こういうと怒るんだ?!」と思ったし。

そうやって自分と全然違う人、全然違う感性を持っている人と一緒に暮らしたことは私の中で財産になっていると思う。

Twitterをみたりする。嫁姑って結構大変な問題という人もいるし、もちろん今渦中で悩んでいる人もいると思う。でもうまく言っている人もいるし、全然問題と感じない人もいる。

でも、一つ思うのは、嫁姑は一つの現れている問題の形でしかないということ。本当に必要なのは、個人個人が「自分の人生って幸せ♥」っていかに感じられるかだと思う。

その中で「恨み」とか「憎しみ」とか怒りがたまって積もってしまったものを持ち続けていたらその人は間違いなく「幸せ」の反対側にいると思う。だったら「幸せ」の側に行ってしまった方が良くない?

私もかつてそうだったよ。「私ってなんて不幸?!」「こんな認知症でいつも自分のものがなくなって番犬のようになっている人と一緒に居たくない」って思ってたよ。

でも、今は変わった。どう思っているかというと「義母は義母がしなくてはいけない人生のレッスンをしていた」って思ってる。そこに私も付き合わされた(笑)というか、私も一緒に人生のレッスンをしたんだけど、私に必要なレッスン方法を義母が一緒にしてくれたんだと思う。

その時は全然理解できないし、有難くなかったけどね。

でも今ははっきり言えるよ。「お義母さんありがとう。あとはご自分の使命、命を全うしてください」って。

だから今はすごく小さな日常がとっても幸せ。

ピアノを弾けることも幸せ。
ご飯が食べられることも幸せ。
ゆっくり眠れることも幸せ。
自分の好きな時に好きなことができることも幸せ。

なんだよね。それを気づかせてくれたのが義母だったとしたら、もう感謝しかないよね、義母に。。。

そんな気づきもシェア出来たらいいな~と思ってます。ここまで読んでくれてありがとうございます♥

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