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あきらめるってこと♪

こんにちは。

このブログにお越しいただき、ありがとうございます^^♪

人間っていろいろな状況で、いろいろ考えるものだと思います。どんなに素晴らしい人生にみえる人も波瀾万丈な経験をしていたりします。

私もあまり多くの人に会っているわけではないですが、やっぱりその人生の中で出会う事象に対して、「どうとらえるか?」が違うだけで、その人の人生が変わってくるように思います。

それで最近思うのが、何か挑戦したり、行動したりしたときに、自分が思う結果がにならなかった利することありますよね?

そういう時に、「思う結果を得られるまで意思を曲げない」ということができる人と、できない人がいるように思います。

意思を曲げない、やり続ける、諦めない、そういうモチベーションを保ち続けるというのはやっぱりそれなりの思いを成し遂げる気持ちが必要だと思います。

でも、私は、意思を簡単に曲げてきた感じです。そのほうが楽だし、苦しまないでいられると信じてきました。「浅はかだな~」って思いますが、そうすることで「自分が思う結果を導けなかったことを正当化」してきたのかな、と思ったり。

自分が苦しまない為の選択

だったのかもしれません。なんかずるい?!

でも、だれがそれに対して批判するわけでもないし、誰に避難されるわけでもないし、自分が苦しまないことが一番!って思っていました。

そうやって考え始めると、それが楽になって、何かを決定する時、何かを決意し、決断するとき、「自分が苦しまない」選択をしていくことになります。

日本の教育もそうだし、親からも、「自分の人生をどう生きたらいいか?」という教えはなかったような気がします。だから私は自分で自分を甘やかして、苦しまないように、それだけを考えて生きてきたように思います。

宗教観がある人達、クリスチャンの方々や、熱心な仏教徒の方々や世界中にある宗教に身を置いている人たちは、自分の中の判断基準として「宗教観にある判断基準」を持っているのではないかと思います。

そういう判断基準が何もなかった私は、結局、自分が思うままに生きてきて、「自分が苦しまない道」を選ぶことで、「アキラメ」てきたんだと思います。

そうすると、何度も何度も諦めていって、結局自分が気づくまであきらめ続けるということになるんですね。その気づくところが意外と深刻に「死んじゃってもいいかな?」みたいな追い詰められた状況まで行く時もあるのだと思います。

「これじゃいけない」とか「これは本望でない」と思うところがあって、私の場合は一冊の本から学び始めました。その本は今は亡きアメリカ人精神分析学者のウェインダイアー博士が書いた「いいことが次々起こる心の魔法」という本でした。

何かをきっかけに時間はかかることもありますが、学びの機会を得て、自分が本当に知りたかったことを知り、今もなお学び続けることができていて本当に良かったと思います。

ピアノやイラストを楽しんでいますが、それも紆余曲折があってたどり着いたところがあります。それも思い出しながらこちらにまとめていけたらいいな、と思っています。

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