「アキラメさん」って呼んでみたら。。
こんにちは。
このブログにお越しいただきありがとうございます。
こちらは、私が趣味でやってきたピアノを再開したり、イラストを再開したことを伝えて行こうと始めたのですが、そもそも「再開する」というのは一旦やめたからなのですが、やめた時にも理由があったわけです。
それでそのやめた理由をよ~く考えていました。考えて考えて、ある日、諦めたことが原因なのだけど、「アキラメさん」という風に人格化してみたらすごく説明がしやすいように感じたので、頭の中を整理するためにもブログで伝えてみようと考えました。
風の時代と言われる現在。伝えてなんぼ、発信してなんぼ、って言われます。スピリチュアルなことには興味はあっても疎い私なのですが、以前は発信しないで一人でぐるぐる考えをめぐらしていました。
それはそれで楽しいのですが、今、いろいろなSNSを使っているとやはり発信することで自分の思いが形になりやすい、ということを肌で感じます。
そして、コロナ渦の現在、リアルに会うことで「感染を疑われる」ような状況になるからだと思いますが、ZOOMで会話をすることが増えたし、SNSでやり取りすることが増えました。
だから、今、伝えた方がいいのではないか?という思いがあるのも事実です。
さて、本題。
私が先日から伝え始めた「諦めた」ということで、起こってくる人生の変化は、すごく怖いものだと思います。雨粒が石を打つ、というようなその時その時の力はすごく弱くても、何度も何度も石の同じところを雨粒が当たることで気づくと大きな穴が開いていたりするものです。
「諦める」気持ちを持つと、これと同じように、一度諦めると、何度も何度もいろいろなところで「諦める」気持ちになり、代替方法を考えてしまいます。本来失敗するかもしれないけど、やってみたらできてしまっていたかもしれないことを、「諦める」ことによって「自分はできない人間だ!」ということを何度も繰り返し自分に伝えてしまっているんです。
だから、気づいたときには雨粒が石に穴をあけているように、自分の自信がまったくなくなって、本気の諦めモードであり、人生を諦めてしまったりすることになります。
これ、怖くないですか?
それで、私自身の半生を振り返り、「諦める」ことで自分の身に起ったことを説明するのに「アキラメさん」と人格化してみました。
実は「アキラメさん」は最初姿がないんだと思います。透明人間みたいです。それで、もしかしたら、一生「アキラメさん」の存在に気づかない人もいるかもしれないと思ったりもするようになりました。
ただ、私の周りに居る多くの人は「アキラメさん」とお知り合いのようで、中には私のように「アキラメさん」ととっても仲良しになってしまった人が多いですね。
「アキラメさん」の事実。ゆっくりお話しすることにしますので、またこちらにお越しくださいね。