奈良県明日香村 「牽牛子塚古墳」
史跡 牽牛子塚古墳
復元整備を終えて、今年2022年3月6日から一般公開されている牽牛子塚古墳に行ってきました!
7世紀後半につくられた当時の風貌をそのままに再現するために、白色凝灰岩切石を使って復元された八角墳で、丘の頂上にそびえ立つ姿はまるで白亜のピラミッド!草木が生い茂る古墳とは一味も二味も違いがあってめちゃくちゃかっこよかったです!!
古墳の周囲にはキレイな模型広場や展望広場も設置されているうえに、隣接している越塚御門古墳の石室内ではプロジェクションマッピングで解説動画が見れるというハイテクっぷりでした!
牽牛子塚古墳は第37代「斉明天皇」とその娘である「間人皇女」のふたりが合葬されているといわれていて、その墓室はとても大きな石をくりぬいて真ん中に柱をつくり、南北に二つの墓室になるように作られているそうです。
しかしこの巨大な石室(石槨)、実は作成途中に一度失敗してしまったらしく、作りかけの失敗作と思われる「巨大石造物」がすぐ近くに落ちているそうなので、今回はそれも一緒に見てきました!
1. アクセス方法
牽牛子塚古墳周辺には駐車場がないため、電車の場合も車の場合も近鉄吉野線「飛鳥駅」から徒歩かレンタサイクルがいいと思います。飛鳥駅から距離的には1kmくらいで、歩いても15分くらいなのですが、行きは結構な上り坂なので、もしレンタサイクルを借りる場合は「電動機付き自転車」を猛烈にオススメします。
① 飛鳥駅のロータリー側を、改札に向かって右側に向かって進んでいきます。
② すんごい古い自販機のところに踏切があるので、左に曲がってその踏切を渡ります。
② 飛鳥駅を左手の下に見ながら線路に沿ってズンズン坂を登っていきます。
③ その大きめの道のまま、右にカーブしながら進みます。
④ 下り坂になった先の道が老人ホームにつき当たるのでそこを左です。
⑤ その道をまっすぐ行くと丘の上に白くそびえ立つ牽牛子塚古墳が見えてきます。
2. 牽牛子塚古墳の石室と益田岩船
牽牛子塚古墳の北西1kmくらいのところに、長さ11m×幅8m×高さ5mという二階建ての一軒家レベルの巨大な石造物があります。
牽牛子塚古墳からは益田岩船までは案内によると800m。一本道なので迷う恐れも少なく、道もあるのですが、結構険しめの山道なのでまったくオススメできないです。まぁでもせっかく軽く命の危機を感じながらも行ってきたので、また今度その時の詳しい行程も記事にしたいなと思ってます。
さてこの超巨大な石造物、大きな空間が二つくり抜かれているのですが、実は牽牛子塚古墳の石室(石槨)をつくってる途中で石が大きく割れてしまった失敗品だという説が有力なのです!
雨が降ると片方の穴には水がたまるのですが、片方は水がヒビから抜けていってしまいます。逆に考えるとヒビがある石室を埋めてしまうと水が石室内に入ってしまうということで失敗となったのかもしれません。
それで仕方なく新しく石室を作り直して牽牛子塚古墳をつくったのではないかと言われているそうです。
益田岩船は花崗岩というとても硬くて加工が難しい石らしく、この失敗に懲りてかどうかはわかりませんが、牽牛子塚古墳の石室は少し柔らかく加工のしやすい凝灰岩が使われているそうです。
なんか石室って石を積み上げてるものばかりといった先入観があったんですが、牽牛子塚古墳は継ぎ目なんかない一つの石をくり抜いたものだったんですよ!すごいスケールだなぁって益田岩船を見ながらしみじみ感じました。
1300年も前だから当時の技術は低かった…というのは大きな間違いで、石の加工技術なんかは現代に負けないだけの高い技術があったんですね。
牽牛子塚古墳も最初はなんとなく現代建築っぽくて浮いて見えたけど、益田岩船を見た後だと、当時の技術をもってすれば、7世紀末でも牽牛子塚古墳は今日見たのと同じ雰囲気で神々しくそびえ立ってたんだろうなぁと妄想が広がりました。
3. 牽牛子塚古墳の概要
◆所在地:奈良県高市郡明日香村大字越(真弓丘)
◆大きさ:墳丘対辺長約22m、高さ5m
◆形状:八角墳三段構成
※7世紀半ば頃から天皇の墓にのみ使われていた形状
◆被葬者:斉明天皇、間人皇女
※宮内庁は斉明天皇陵として車木ケンノウ古墳を治定している
◆復元工事:墳丘が崩れ一部露出してしまっていた横口式石槨の保存のため、上部をEPSブロックで覆い、その上に白色の凝灰岩切石を敷き詰め造成当時の外観が再現された。
◆外観形状:八角墳外形の一面に観光用の階段を設けてある。
◆内部構造:横口式石槨で中央に間仕切りのための壁があり、その両側に長さ2m程度の墓室が並んでいる。(復元後は階段の上から下を覗き込むようにして見るしかなくてちょっと見にくくなっています。)
4. 周辺のオススメスポット
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