他人の祈りが力になることもあるよねと思う2024年晩夏の記録
※ご本人やその近辺の方およびわたしの家族しか知りませんが、ご本人が無駄に特定されないようところどころぼやかしておきます
(内容に一切関係ない前書き)
これは職業的な問題だと思うんですが、
正しく物事を伝えたくて言葉を一旦大量に出力→一旦縮めたいと思うと気になってしまいサマリしていってよりいい表現にならないか?を考えてしまうので、
一生文学の人にはなれないし書くことを仕事にすることもできない。
ということでタイトルを書いちゃ消しては疲れたのですが、普段のnoteは一気書きなので
正しく伝わるかどうかもあんまり考えてはいません。
ただ、今日のうちに書きたいなと思ったので、
夕寝したい気持ちを堪えてエアロバイクに乗りながら記録します。
少し前に、主治医の先生が癌の治療中と知りました。
この5年ほど、数ヶ月に一度定期的に診療を受けていて、1回につき10分ほどお話しするかどうか。
この先生が精密検査に回してくれたおかげで、
私はひとつの病気を早期発見できたし、もうひとつの大きい病気の主治医も見つけることができたので、接する時間は短いけれど信頼している先生。
勉強会にも積極的に参加されているみたいで、
症例を聞いて抱えている患者の中でも若手の私のことを思い出すと言ってくれていました。
私よりは年上だけどまだ若い先生。
ノコノコと診察を受ける私(休職中)に、月末に入院と手術予定なんですとおっしゃり、
「進行が早くて…〇〇さん(わたし)も絶対検査受けてくださいね!毎年検査しててもね…」と明らかに元気がなかった。
「休んでいても気が滅入るから仕事してるんです」とも。
なんとなく察するにおそらく独身で生真面目な先生に、わたしができることなどは何もない。
何もないし今渡せる健康祈願のお守りも持ち合わせがない。むしろ実家含めて病人しかいない。
そんなわたしだけど、メールなら書けます。書けますとも!!!
ということで、病院の窓口のご意見から、
先生フルネーム宛でメールをしたためることに。
患者名と、先生にお世話になっていることと、快癒を祈っていること。
病院の誰が読むかもわからないし個人情報すぎるので、長々とは書かないけど、
「先生のことを心配している他人がいます」
「言わなくても患者さんもみんな同じく心配していると思います」という気持ちを込めて、
読んでくれたらいいなぁという思いを込めて送信。
先生大丈夫だったかなぁと思いながら数ヶ月経過して、
予約した診察デーを迎えました。
色々検査した後に診察室に呼ばれると、
いつもの先生!なんならまつ毛ちょっと生えてきましたね!
と思いながら、淡々と結果や処方箋を述べる先生。
じんわり「あ〜ご無事だった〜よかったなぁ」と思っていたところ、
先生が「あの!ちょっといいですか!?」とバッグをゴソゴソし始めて、
「お守り代わりにしていたんです。嬉しくて、本当に」
と綺麗に折り畳まれたコピー用紙には、
わたしが書いたメールを事務の方が院内アドレスで転送してくれた内容。
「ありがとう、本当にそれが伝えたくて。力をもらいました。今も病院に通ってます」
とマスク越しで目をうるませてくれていました。
ああ、届いたんだなぁ。
こっちがありがとうございます…
まじでメール1本しかしていないけど、何かの力になれたのなら本当に嬉しいです。
思うに、
誰かが自分のために心を寄せてくれることって、
すごく嬉しい時がありますよね?
言わなきゃ伝わらないので、わたしは特に伝えたいと思う。
この思いやりと優しさの方角から、なぜ夫だけ適用除外なのか謎ですが、
わたしはその嬉しさをなんだか知ってるんですよね。
だから伝えたいし、それが伝わったかどうかはわたしの自己満足なので、
相手が嫌な気持ちにならなければいいなとだけ思う。
そして、わたしだけ特別なのではなく、他人、とか患者さんたち、という大きなグループの一員として伝えたい。
もちろん誰でも彼でもではなくて、縁があった人にしか思わないし、
思わない人にはできないですが。
先生が、「他人から励ましをもらうだけの人生を歩んでいるんだ」と自信を持ってもらえたら。
医師である前に1人の人間なのだから、自分をちょっとでも大切にしてもらえたら。
医療従事者だからって患者を優先すべきなんてことはなく、ソーシャルワーカーも自分が健康で生きてこそです。みんな善意に甘えすぎなんや!(おっと話が逸れる)
わたしいいやつでしょ!?ということではなく、
誰かに伝えてそれが力になることもあるし、
それが他人の言葉でもいいわけだし、
やっぱり伝えるって大事だなと思ったよね、ということでした。