ある意味エデンの園
カトリック、プロテスタントの幼稚園・高校・大学に通っていたので、旧約聖書の「創世記」には幼少のころから馴染みがある。エデンの園では、そこらじゅうに美味しい果物が実り、アダムもイブも、それらを自由に食べている・・・しかし、やがて禁じられた「知恵の木の実」まで食べてしまい、あえなく失楽園となるのである。
幼稚園のときに初めてこのお話(もちろん子供向けバージョン)をきいたときの私の最初かつ最大の反応は、「楽園から追い出されてかわいそう」ではなく、「食べられるものがそのへんにいくらでもなってるんだ、いいなあ」だった。太古から続くDNAのなせるわざか、たくさんの食べものに囲まれている(しかも、それが自然にどんどん生えて&なっていて尽きることがない)、ということに本能的にポジティブに反応したんだろうと思う。
それから今に至るまでの、通学路で見つけたアケビや桑の実、山道で遭遇したタラの芽その他の山菜、きのこ、草苺、南の島で群生地に採りに行ったオオタニワタリ、ロッキー山脈で熊に遠くから睨みつけられながらたくさん摘んだハックルベリー・・・お店にいけばいくらでも野菜も果物も売っているし、買うお金だってあるのに、そうした野生の「食べられるもの」を発見した時の、あのなんとも形容しがたい嬉しさは何だろう?
そして・・・この奇妙な春の日々の中、私には新しい日課ができた。
それは、家のまわりにある野草を摘んで食べること。幸いにもここ鎌倉は、東京都心からわずか電車で1時間という距離にありながら、自然がかなり豊かで、私の住んでいる地域でもたくさんの食べられる草を見つけることができる。先日は、鎌倉の自然に詳しい知人に教えてもらいながら、近くの空き地で ヨモギ セリ カラスノエンドウ スギナ カタバミ カエデ ショカツサイ クレソン ヒメジョオン ハルジョオン タンポポ フキ ワラビ スイバ スギナ といった野草を採取して、その場で天ぷらにして食べるという最高の贅沢を味わった。
特に、「そのへんに生えている雑草」という認識しかなかったカラスノエンドウやショカツサイ、ヤエムグラなどが、「食べられる、しかも美味しい」とわかった瞬間の、私の中のパラダイムシフトはすごかった:
「ただの空き地」が、なんと、見渡す限り美味しい食べもので満ちあふれた「エデンの園」に変貌!
なるべく買い物に行かなくてすむように、と、ここ数週間かけて、穀物や乾物、日保ちのする根菜類を少しずつ備蓄していた。でも葉野菜だけはときどき買いに行かなくてはいけないな・・・(もちろん野菜もいずれ、自分で育てたい、これについてはまた別のストーリーなのでいつか書きます)と思っていたけれど、野草を摘んでくれば、葉野菜も買いに行かなくていい。しかも、野草はまさに、その季節に身体と心に必要なパワーをもたらしてくれる。完璧!!
ずっと前からやりたかった、野草を毎日の食卓にとり入れる生活。いま、思いがけず時間ができたことで、こんな楽しみが舞い込んできた。陰あれば光あり。状況はかなり厳しいけれども、自分の身体と心にいろいろな意味でエネルギー補給をすることはなんとしても続けたい。というわけで、明日もまた家のまわりの「エデンの園」で新鮮な野草を摘んでこようと思います。
Heaven is a place on Earth.
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