名前のない料理があってもいい
何年か前のこと。料理教室のとある生徒さんがこんなことを言っていた。
「ダンナさんに、”名前のある料理を作らなくたっていいんだよ” と言われたんです」
料理があまり得意でないという彼女は、料理には「定形」のようなものがあり、定義づけ・名称のようなもの〜○○のシチューとか、○○と○○のサラダとか、○○の〇〇和え、とか〜がそこには必ずなくてはならない、と思いこんでいたという。
私の料理教室では、全粒穀物・野菜・豆・海藻といった食材を組み合わせたレシピを紹介している(動物性食品は使わないけれど「動物性は食べてはいけない」というわけでは決してなく、植物性オンリーでも美味しい料理を作れるようになっておくと何かと助かることが多いというのが主な理由 - 詳しくはおいおい書いてゆくつもりです)。
レシピをお渡しするので、いちおう、料理の名前はつけているが、それは単なる目印のようなもの。その日に冷蔵庫やパントリーにあるものを、その日の気温や体調や「これが食べたい!」という衝動?によって、調味料と調理法を選んで組み合わせ、火を通す(あるいは、通さない)、というのが本来はやりたいこと。レシピの名前とはイメージが違うなあ・・・・といった出来上がりになってもぜんぜんよいのだと思う。
家庭料理はそれでいい。シチューだからとろみがついていなくては、とか、ひじき煮には普通キノコは入っていないでしょう、とか、そういうことは考えなくてもいいんじゃないかな。その組み合わせが美味しければ、それでいいし、気に入らなければ次回は組み合わせを変えればいい。シチューのつもりが煮込みになってもいいし、混ぜご飯のつもりがリゾットになってしまってもいい。フライなのか焼いたのかわからないけど美味しい、でもいい。
「名前のない料理でいい」という、そのダンナさんの感性は素晴らしいな、と思う。きっと一緒にお料理しても楽しいパートナーなのでは。お引越しで遠くに行ってしまわれてその後会っていないけど、名前のない美味しいごはんをきっと毎日つくっていらっしゃるんだろうなあ、と思う。
お料理が苦手、レシピ本を見ないと作れない、バリエーションが少ない・・・そういう生徒さんが、だんだんと、アレンジ力がついて「自分のレシピ」をつくれるようになっていくのを見るとほんとうに嬉しい。
おうちにあるもので適当に料理して美味しくできる、それはとてもとても楽しく嬉しいことだから、私の料理教室にいらっしゃる方には、ぜひその楽しさを味わっていただけたら・・・と 料理教室を15年前に初めてから、それはずっと考えていることだ。
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鎌倉と九州(+ときどき海外)で料理教室をしています。
鎌倉・熊本の料理教室のスケジュールは こちら 、北九州(主宰:食と暮らしを楽しむ店 えこわいず TEL:0949-22-2444)のクラスは こちら をご覧ください。
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