ジブリ映画「かぐや姫の物語」考察 6
自称作家 あまおう まあお がDVD見て原作読んで全力で考えてみた!!
原作にないシーン 妻子捨丸と姫の罰
捨丸さんの人格については特に何も言いません。私は前述の通り、この方は嫌いではない。姫は好きみたいですね、この方のこと。別にそんないい男とも思いませんが、他がひどいからですかね。合コンに行くときはメンツに注意した方がよさそうだなと思ってしまいますね。
ところでみなさん、メタファー(暗喩・隠喩)って、ご存じですか。
そうそのなんかアレなことやものを、なんとなくうまいこと表現してR指定から逃れたりするアレです(とても乱暴に)。メタファー論展開できるほど文学に精通していないので、メタファー論については各自で補完のほど、お願いいたします。
ただ私にも分かるメタファーはガチ。
というところは押さえた上で、はっきり言いますね。
姫と捨丸が空を飛んでいるシーンは、メタファーでございます。
証拠は見たまんまなんですけど、着物を脱ぎ捨てて地面の上に男女が笑いながら寝転んで空を飛んで世界を駆け巡ってその姿が村人からは認識されなくて、上がったり落ちたりしながら空中で抱き合ってて……そうじゃないとか言われても、私はちょっと納得できませんね。
「あめつちよ、わたくしをうけいれて……!」
なんて言いながら手を伸ばす姫。真っ逆さまに落ちたあと、二人で手を繋いで里を飛んで行くスピード感。気持ちよさそうだなあと思いましたが。
そして二人で雨に打たれてずぶ濡れになるシーン、笑ってるんですよね、二人とも……。エッロ! と思いましたが、高校生以上の皆様はどのように思われました? 私だけではないと思いますが?
なお、月は太陽を受けて輝く天体なんですが、作中で太陽が描写されたのはこのシーンを除くと、姫の名付け祭りの時に一瞬映っただけです。名付け祭りのときは人形と一緒に出てくるのであんまり本物っぽくなかったんですが、このシーンの太陽は大きくて光輝いて、姫も嬉しそうにしていましたね。ああ、命の輝きよ! って感じがしましたが。
ところが。この逃避行こそが、姫の「罪」ではないかと私は思うわけです。不倫だったからではなくて、天人たる高貴な姫が、地球人の男と交わることが、罪なのではないかと思うのですが……。
五人の貴公子を無理難題でフッて、顎の御門を回避して、姫はゲームに勝ったんです。このまま昇天すれば姫の罪は許されてめでたく月の都へ帰れるのですが……最後の、最後で……!
そういう話に思えてなりません。
時間はねじれているんです。姫はひとりだけループしています。姫の顔、みてください。かわいいですよね、美人ですよね?
仏顔してないですよ、このひと。
月の天人なのに。
姫には地球人の血が流れています。最初私は、地球の男と月の天人のハーフなのだと思っていました。「あの罪人」が姫の母親なのだと。しかし、そうするとラストの月の中の赤子の意味が分からないんです。姫がいつわらべ歌を覚えたのかも、よく分からない。
私なりに見つけた整合する解はこれです。
あの月の都の罪人のおばさんは、かぐや姫です。
青い地球を見て泣いていますね。天人には感情はないはずなのに。それを見てかぐや姫も胸を締め付けられている。
思い出したから。
あの罪人のおばさんも、微妙なとこですが、地球顔に見えますね。
かぐや姫(おばさん)をかぐや姫(若い)が見ているのはおかしいですか。でもあれ、回想シーンでうまく処理されているんですよね。同じ時間軸で二人描かれていない可能性、充分ありますよ。あの描き方は?
姫の正体は、あの月の赤子です。姫と捨丸の子供です。姫はこの後、姫自身を産み、産んだ子どもはまた地球に落とされます。
姫が地球で子どもを作らないエンドを迎えるまで、永久に。
ちょっと似たような話、昔漫画で読みました。火の鳥の中のあるお話なんですけど、ネタバレしてはいかんので、ここまでにします。あの話はじめて読んだとき、私は震えましたけど、この映画も月の中の赤子の意味に気づいたとき「ああああああ」って思いました。
罪に対して罰がちょっと重いんですけど、姫は罰の方が楽しいみたいなんですよね。なんて話なんだ、と。姫はあと何度繰り返してもきっと同じルートを辿りますよ。
私もうこの映画二十回以上見ましたが、全部同じエンドに到達していますから。
なんて甘美なしかしあまりにも重い罰なんでしょうね。
これを示唆する描写は、わりと分かりやすく提示されています。
姫と媼が会話しているところなんですけど、姫の記憶が戻って月の都のおばさんのことなど話しているところなんですけど、「まつとしきかばいまかえりこむ」の歌のあと姫は
「帰りたい、今、すぐに……!」と叫ぶのですが。(蛇足かもしれませんが、この歌は古今集に本歌があります。百人一首にも選ばれていると思います)
これ少し変ですね? 今はまだ地球にいる姫が「今すぐ」帰りたいのは月になってしまう。ということは、これは月の都のおばさんのセリフです。物語でこう表現されたら、同一人物とみてよいと思いますが。
このセリフ、媼も意味が分からなかったとみえて「山へ帰りたい」という意味にとって、車を用意させます。そして山へ帰った姫は罪を犯すはめに……。
他にもまだありますよ。わらべ歌も天女の歌も「めぐって」「まわって」「いのちがよみがえる」歌なんですよね。文字通り何度も「めぐって」姫は「いのち」をよみがえらせるんですよ。
「いのちの記憶」というテーマソングは高畑監督の作詞ではないですが、この見え方に気づいた後で聴くと、どんな気分でしょうか。ジャスラックさんに何か言われたくないので、各自聴いてみてくださいと言うにとどめておきます。