母のこと(二)|エッセイ(全文無料)
母が死に、慌ただしいのが過ぎたところで、ようやくしんみりと悲しんだ。これで私は直系尊属をすべて失ったのだ。私をかわいがってくれた直系尊属たち。その最後が母だったわけだが、それらをすべて失ったこのタイミングで、私は人生折り返したような気持ちになった。私は今後、若い者をかわいがり、与えることができるのだろうか。母に与えられたものをあらためて振り返った。
その1 母の死とその前後(つづき)
未明の死
母が死ぬ直前からのことも、少し触れておこう。
前回触れた最後のところで、私は、入院中の母との最後の面会の機会を得たのであるが、その後は新型コロナの影響で、自由に面会することは叶わなかった。そうした中、主治医の先生から電話を受けた。容態悪化の連絡だった。
細かな表現は忘れたが、先生は、階段を下りるという表現を用いて説明してくれた。今回階段をひとつ下りたかもしれない。一般に人は直線的な下降線をたどるわけではなく、階段のように、一つ悪くなったらしばらくその状態を保ち、しばらくするとまた一つ段を下りる。残りの段があといくつあるかわからない。まだ何段もあるかもしれないし、これが最後の段かもわからない。母から私にメールが返ってこないとしたら、メールの文字をみるのも気分が悪くまた億劫で、難しいのかもしれないと言った。
順番が乱れるようだが、これの少し前、母から電話があった。内容は忘れた。単なる現状の報告だったようにその時は思って、普段通りに話をした気がする。私に電話する前に、もうひとりの子である私の妹にも、電話をして話したと言っていた。で、私と通話していて、これから連絡をするのが難しくなるかもしれないという趣旨のことを言った。理由はなんと言ったか忘れた。ただ、その時に私が不審がらないような理由を付けていたように思う。携帯電話の調子が悪いとか言ったか。この時点で、母はすでに、電話もメールも容易でない状態だった可能性がある。私はそれに気づかなかった。能天気にわかった、わかったよと返して電話を切ったのだった。
上の主治医の電話からどれくらい空いたか、ある日、未明ごろだったか、病院から母が死んだと電話連絡を受けた。人は皆夜死ぬのだろうか。記憶にある尊属の死は、多く夜ではなかったか…。
死の直後のてんやわんや
人が死んだ直後は慌ただしい。喪主たるべき私は、母の死に際して、それをあらためて思い知った。
母の意志として「自分が死んだら献体に出せ」という強いものがあって、生前その話が出た時に私がためらいを見せたということは、前回触れた通りである。
はたして母が死んで、献体に出すなど容易に考えられるわけがなかった。闘病の果てに死んだ高齢の遺体にどれだけ利用価値があるのかということもあった。ただそれよりも、私が察する母の真意として、無論、自らを献体に出すことで困っている人の役に立つならば本望だということもあるにはあっただろうが、主となる部分は、やはり自分の死後、残す私や妹に面倒をかけたくないというところにあったはずだ。妹もここに異論はなかったようだった。そこで私たちは、最低限のことをしてやって、あとは大げさな形式上のことを極力省き、あとは心中悼むのがよかろうということで、そうした。
最低限のことにするとしても、簡単ではなかった。
母が親交を持っていた人たちに連絡をしなくてはいけない。私の知る限り決して多くはなかった。ただしその連絡先など知らないから、母の携帯電話の記録から電話番号を探し、それぞれ電話をかけて、母の死を報告した。私自身も親交のあった親族などには、メッセージで簡潔に済ませることもあった。結果として、連絡のついた親族の一部が集まってくれた。ただ、新型コロナの影響もあり、皆の意見を踏まえて、その後の会食などは行わなかった。
遺品の整理
さて、母が死んで最低限行うべきてんやわんやは一段落ついた。母と共に生活していた私は、母の遺品の整理にかからなくてはいけなかった。母はもともと物欲やこだわりの強い方ではなかったし、生前すでに物の整理をしたのでもあろうから、遺品といっても大した数はなかった。生活をしていたからにはある程度の物はあったが、大部分は要不要を一応チェックして廃棄するというだけだ。
私は物の整理や片付けが大の苦手である。その点だけからしても、この遺品の整理・処分というのは大変気が重かった。だから収納を確認して要不要をチェックするだけでも、私からしたら一大事業に思えたのだ。
だが、仕方がない、やるしかない…いちどきにすべては無理でも、生活をしながら、少しずつやれば決して不可能ではあるまい。そう思って少しずつこなしていって、不用品を廃棄するところまではなんとか行った。
ところで、母が残してあったのに毛皮のコートがあった。今どきはまったくはやらないが、かつては人気があったようで、母は当時数着持っていたものの、多くは処分して、一着だけ残してあった。当時気に入っていた一着だろうか。よく着ていた気もするが、それ以上は覚えていないし、詳しい話も聞いたことがなく、わからない。再利用しようにも、いろいろ調べてみたが、どうやら道はなさそうだった。ソファに置いておくような膝掛けにでもできないかと思ったが、だめそうだった。
この毛皮のコートを含め、遺品整理に引き取ってもらえそうな物を集めて、業者を呼んで一挙これを処分した。こう書くと簡単なようだが、だらしのない私としては、この一挙処分にしても大変だったのだ。
家族写真
残るは、遺品とは少し違うが、家族の写真というものがあった。
母は父と結婚し、第1子たる私が生まれ、次に妹が生まれ、専業主婦として、家庭内のことはすべて取り仕切ってきた。私の幼少期には現代のように画像や動画のデータ化の技術など進んでいなかったから、写真を撮り、現像つまりプリントして、現実のアルバムに綴じて家族の記録としてきたのだ。このアルバムが、かつては数多くあった。
もっとも私たち子が成長した後、引っ越しをする機会があった。その際、母はこの大量のアルバムをネガフィルムもろとも廃棄した。これは思うに母が写真や思い出を軽視していたわけではもちろんなく、何事もちゃっちゃとすませてしまいたい母の気質もあり、また長く家庭を取り仕切ってきた習慣からして、何かを整理し処分する際、ひとつひとつ手間などかけていられないということもあっただろう。生前母と「アルバムを捨ててしまったのはちょっともったいなかったわね」と話すこともあった。いま私が考えるならば、省スペース化を図るにしてもせめて写真をスキャンしてデータ化してからにしてもらいたかったが、もはや仕方がないことである。
それでも、残っている写真があった。これについては母と話したことがなかったため、故意に母が残したのか、単なる廃棄漏れかわからなかった。おそらく単なる廃棄漏れだろうが、それを整理しながら、私としては時の流れに思いを馳せずにはいられなかった。
最も古い写真としては、両親の結婚の時の写真があった。私が生まれる前年のことである。若かりし母の姿がそこにあった。この頃の写真家は被写体をあまり笑わせなかったのか、父母も他の人間も、あまり笑顔を見せていない。ゆえに母の初々しさというか、溌剌とした若さがそこに溢れているという雰囲気ではなかった。絹目の写真の表面を指で触りながら、私は懐かしく、これら写真を眺めた。
それに続いて、私が生まれた直後と思われる、両親と私との写真もあった。
また、私が生まれて1か月後の、母と母方の祖父母と私との写真もあった。この「1か月後」というのは、この写真が入っていた封筒に、誰かの手書き文字で日付が入っていて、それでわかったのである。母の字とは違う気がする。祖父母の字であろうか。当時いわゆる「ばかちょんカメラ」で撮ったスナップ写真のようだ。猿のような私を抱いた、祖父母の嬉しそうな顔と言ったらどうだ。目に入れても痛くないとはまさにこれであろうか。
その後、私の思春期には多分にもれず反抗期があり、写真も減っているが、成人に近づくにつれて写真撮影の機会も徐々に増してしていったようだ。
私の成人した頃の家族写真もある。
その後も要所要所で尊属たちと私とが写った家族写真が、最低限ではあるけれども、残っていた。無邪気で生意気な表情を見せる私の姿が残っていた。
ところで、母と私との最後のツーショット写真はいつごろ撮ったものだったか。ツーショット写真など普段はあまり撮らなかった。やはり前回
「何枚か、ふたりで一緒に撮った写真画像が残っている。私が冗談を言って母を笑わせた記憶がある。母はこれら写真の中で、いつもの写真用スマイルに一段加えた、自然な笑い顔を見せている。」
と触れた、あの写真が最後のツーショット写真ということになるだろうか。死の影がかかる前の、母の笑い顔と並んだあの写真だ。
遺書
母の遺品の整理を終えて、私は一息ついた。ここでようやく、母が死ぬ前数年間にわたって記してきた手帳に意識を向けた。この手帳の存在は以前から知っていた。日々何やら筆記していたし、また、母は生前、私たちとの日常会話の中で、死を覚悟したときには遺書を残したと語った。それに目を向けたのだ。
ここでその文面を転記することはしない。私と妹とに簡潔な言葉が残されていただけだ。
ただ、あえて印象に残った箇所を挙げるなら「(私の)子供の頃から今までの嬉しかったり楽しかったり心配したことが」思い出されると記された箇所である。
私に関して、嬉しかったこと、楽しかったこと、そして心配したこと。これが母のすべてだった。
こうした思いを、私は子孫や後進に持つことができるだろうか…私は目を閉じた。
つづく
*補足*
本記事は「尊属のこと」(連載エッセイ)の一部です。
本連載エッセイをまとめたマガジンはこちら ↓↓
ここから先は
¥ 390
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?