4.5.13歳の自我
冠省
こんにちは marです。
4歳と5歳の男の子の孫がいます。
それはそれはかわいくて、宝物です。
5歳の孫は、活発 天真爛漫 陽気 おしゃべり。
4歳の孫は、穏やか 用心深い 頑固 笑いのツボが浅くてよく笑う これまたおしゃべり。
好きなものも警察車輌や消防車や救急車でトミカ大好きの5歳。
マニアックに電車が好きなプラレール収集家の4歳。
幼い頃からよく遊び、泣かしたり泣かされたりしながらもコロコロと仔犬のように戯れていました。
最近は知恵がついてきて。
言葉も達者になってきたので喧嘩も一丁前になってきました。さらに、きちんと自己主張するようになってきたので喧嘩も言い合いになります。
5歳の方は、1年大きいだけあってうまいこと言ってなんとか自分の思い通りにしようとします。時々、その罠にはまり4歳も同意の上で遊んだりしますが、結果、4歳にとっては理不尽だったりつまらなかったりやりたいようにやらせてもらえないことがバレてしまい遊んでいても楽しくない状況になります。
遊べないのはつまらないので、5歳は自分に有利めに妥協点を探ったりしますが、その辺りから空気がおかしくなります。そこに中3の姉が介入したりするとややこしくなり、肩をもったとか持たないとかで5歳児が爆発し乱闘が始まったりします。
親は慣れたもので、ひどくなるまでは黙って見守っていますが、中3の姉は姉でわざわざ5歳児のプライドを傷つけたり、幼児同士では思いもつかないようなネチッとした嫌がらせをしたりするので叱られるのは姉。5歳児は泣くし4歳児はこの状況に耐えられずソッとその場から離れたりします。
最近はこんなことが増えてきて、中3の姉もイライラしているし、5歳児もイライラしているので寄ると触ると口喧嘩になり汚い言葉を使ったりするので、親もついつい大きな声を出す羽目になっているようです。
子供って、生まれたときから個性があり、同じように育ててもそれぞれ性格も違えば成長の度合いも違うものです。
4歳児と5歳児が遊ぶ様子を見ていて、「あーこれはよくないな、ちゃんと教えなくちゃな」と思うことが増えてきました。そういうときは必ず、よーく話します。例えば、1つしかないオモチャを奪い合ってあるとき。2人で遊んでいるんだから1つしかないもので遊ばないで一緒に遊べるもので遊べばいいんじゃない?それに、先にそのオモチャを使っていたのは●●君だから○○君は「貸して」って言って「いいよ」って言ってくれたら遊ぶんだよ。「いや」って言われたら無理やり取るのは「横取り」と言って良いことではないからね、少し待ってみようねと、教えます。
体力に差があるので、遊んでいるつもりでも時に力が余って痛かったり苦しかったりやめて欲しいときは「ギブ!」と言われたら絶対にやめなくてはならない、というルールを決めて徹底しました。
まあ、相変わらずにぎやかに遊ぶしちょっとしたトラブルはしょっちゅう発生しておりますが、それでも「大きくなったなぁー」と感慨深い気持ちで一杯です。
たまに、クタッと抱かれて全身を預けてくれていた頃の感触を思い出します。重くて筋肉痛になったり腰痛になったりしたけれど。切ないくらいに懐かしくて。
中3の孫もしかり。
膝の上にのっていろんなおしゃべりしてくれていた頃。今はもう、抱っこして愛情を伝えることは出来ません。せいぜい頭を撫でたりハグしたり、タッチしたり。大きくなったけど、弟ばっかり可愛がられているような、自分ばっかり叱られているような気持ちになるのでしょう。この時期のいろんなことに対する複雑な感情や未熟だけれどわかってない訳じゃない、その狭間にいる感覚はわからないでもないのです。
5歳児と中3では教える内容も教え方も違うのはもちろんですが、何より15歳の受け取りかたによってもいろんなことが左右されます。この年代は、こういう風に考えてみたら?とか、こういう見方もあるかもね、など、提案に止めないといけないなぁ~と感じています。全ては本人が決めることが大事。
わたしは少し離れて暮らす祖母ですので、毎日一緒に過ごすママほどはストレスもたまらず、かわいいかわいいで過ぎていく立場ですが、それはそれなりに思うこともあるし考えることもあるのです。
仔犬のような孫たちも、もう、抱き上げることは出来なくなりました。重いっ💦頭を撫でたり背中をさすったり抱き締めたりするといつもいつも切なくなります。
しあわせになってもらいたいなー。
そればかり思います。
3人の孫は、それぞれ自我に目覚め、健気に一生懸命生きています。生きていてくれるだけでいいんです。
この子供たちがいなかったら。
細胞ごと刺激されるような、こんな感覚を知ることは出来なかったでしょう。
幼い命を守ること、この一点だけに集中する感覚も持ち得なかったと思います。
自分の子育ての時には、文字にならなかったこの感情、感覚。
自分の育児の時は、わたくしも若かったのでとにかく一生懸命ではあったけれども。今のように「きちんと教えればいいんだ」とか「提案に止めて自発を待とう」なんていう余裕は全くありませんでした。わたくしこそが未熟でした。
あの頃の自分に会えるなら、もっと寄り添ってあげたかったと思っています。あの頃だって、自分を大切に思いいくらでも自分に寄り添うことはできたはずなのに。悔やまれます。それをしてこなかった自分。馬鹿だったなあ。
ママが元気でなくちゃ、ひとりぼっちじゃダメなんですよね。押し付けがましい他人やコントロールする他人や煩わしい人が回りに沢山いたとしても、振り払い押し退けて自分に寄り添って行くべきだったな、と、今なら言えます。
しかし、時は取り戻せません。時を戻すことは叶わないのです。
中3女子にスマホを持たせるか問題←持たせないつもり
受験生ですので何となくトゲトゲしている雰囲気もあり、自我には目覚めているが朝、目覚ましなっても目覚められない問題、自覚がないとママは言う。
保育園児2名は成長が著しいのでとにかくちゃんと食べさせてたっぷり眠らせて。ワチャワチャな日々をすごそうでないか!
そんなこんなで、おばあちゃんは細胞ごと刺激されて生きているわけです。今度はいつ会えるかなー? 不一
街のお母さん食堂を作りたい!シングルマザー専用のアパートを運営したい!障がい者雇用を産み出したい!人生100年!社会とのコミュニケーションがないと人生つまらない!夢は壮大です。生きづらい世の中ではあるけれどもまだまだ捨てたもんじゃない!小さくても1歩目がなくちゃ未来は始まらない!