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『イヴの時間』(アニメ)を見て、ロボット三原則や車の自動運転について考えさせられた

 今日のお昼、Amazon Prime Videoで『イヴの時間』というアニメ映画を見た。

簡単にストーリーについて話す。(以下"~"で囲んだ部分は公式にあった文章。)

”未来、たぶん日本。ロボットが実用化されて久しく、人間型ロボットが実用化されて間もない時代。”

アンドロイドと呼ばれている人型ロボットは、見た目では人間との判別がつかないほど精巧なロボットで、人間の家事などを手伝っていた。

ロボットを使うことで現実世界では問題となっている食料自給率も上がっているけど、反対にこのままロボットに任せる世界でもいいのか?という意見を持っている人も多くいるみたいな世界。

そんな世界に「イヴの時間」という、人間とロボットを区別しない喫茶店があった。道端ではアンドロイドは頭の上に輪が表示されていて、それによって人間かアンドロイドかすぐに区別きるようになってるけど、イヴの時間の店内ではアンドロイドは輪を表示させていなくて、人間は相手がアンドロイドなのか人間なのか判別できないし、アンドロイドも相手が人間なのかアンドロイドなのか判別できない、店内では不思議な空間が出来上がっていた。

そしてイヴの時間のお客さんの中でいろいろとハートフルな話が展開されていくというのが主な流れ。

ロボットを扱う作品では必ずと言っていいほど命題になるけど、この作品でもロボット三原則についての話があった。

ロボット三原則というのは、SF作家のアイザック・アシモフが作品の中で提唱したロボットが従うべき原則であり、以下の三条である。

第一条
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。
第二条
 ロボットは人間に与えられた命令に服従しなければならない。
第三条
 ロボットは、前掲第一条および第二条に反するおそれのないかぎり、自己をまもらなければならない。

これは1950年に刊行されたSF小説で提唱されたものなので、そのくらいの時代に考えられたということになる。

イヴの時間でも少し触れられているけど、もし現実に人間と判別つかないロボットが作れるようになったときにこの三原則だけではいろいろと問題が起きるんだろうなぁ。

法律整備とかも必要だけど、いろいろな倫理問題も重なりそう。

第一条については、広義の意味ではもうロボットは人間を殺しているのかな。

現代の戦争とかって単純な白兵戦じゃないだろうし、技術の進歩はそういう軍事利用面が一番早いっていう話も聞いたことがある(完全に自分の想像だから適当なこと言ってるけど)。

そういえば、前にTVニュースで車の自動運転について気になる話があった。

それは、もし自動運転中に運転手の死か他の周りの人(例えば歩行者とか)の死のどちらかしか回避できないという状況になったとき、自動運転は運転手の死を回避するだろう(つまり他の周りの人は死んでしまう選択を選ぶ)というのがあった。

今は運転の完全自動化はまだ先の話だから、上記のような問題はないけど、近い将来にこういう問題にも直面するのかと思うとなかなか難しいね。

僕は、高校(高専)時代に少しだけ技術者倫理をかじったから、こういう話にも興味があって考えさせられる。

イヴの時間はそういう話をしたくて作ったわけではないのかもしれないけど、僕は考えてしまった。


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