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noteを再開して五輪反対を叫ぶ

同じような気持ちを抱いている人はいま、
どこでなにを感じているのだろう?
間違いなくいるはずなのだ。
それも少なくない数の人たちが。

オリンピックに反対の人はいっぱいいたはずなのだ。

そして今でも違和感を覚え、
にもかかわらずただ黙ってじっとしている、
そんな人は少なからずいる。
そういう人が僕の記事を読んでホッとする。
ああ、ひとりではないのだ、と。

そういうことがあると信じて、僕はnote投稿を「再開」、
いや「心機一転」することにした。

note投稿が1週間くらい滞っていたのは体調不良も大きな理由であるが、
「多くの人に読んでもらいたい」という自分の気持ちに邪なものが混じっている気がして、少し嫌気がさしていたという事情もある。
自己嫌悪、ひいては自己否定感にやられていたのだ。

だがクリティカルな気持ちはどうやら自分にだけ向けられているわけではないようだ。
それは強く深く、オリンピックに対して、そしてこの国の政治、社会、そして大多数の日本人に対して感じているものだ。
そして攻撃的で批判的な気持ちは募る一方になり、
夜の不眠と相まって、いよいよ吐き出さざるを得ない状況になってきた。

攻撃的で批判的な「毒」を吐くことを僕はできるだけ避けてきた。
特にtwitterでは意識的に避けてきた。
フォロワーの人たちと平和的に牧歌的に交流したいからだ。
それと連動して、noteも同じようにするつもりだったのだが、
予定を変更してクリティカルな毒吐き用に改装することにした。

今までの文章の雰囲気が好きだったという人には、ゴメンナサイと謝るしかない。
そういう文章を書くこともまたあるかもしれない。
でも基本的には、僕は「一般受け」するために文章を書くことをしばらくやめようと思う。
実際に「一般受け」していたのかは知らない。
でも結構な人たちが「スキ」をしてくれた。
そのことはとても嬉しかったし本当に感謝している。

これから書こうとしている文章たちは刺激的で、毒を含んでいるかもしれない。
読んでくれた人がそういう文章にあたってしまい、
体調や心の調子を崩してしまっては申し訳ない。
「刺激的です」「毒吐きありです」の注意書きをして、
それでもいいよという人だけに読んでもらうことにする。

そして僕は心のままに文章を書き、共感されないこと、批判されることを恐れない。
それが目的ではないからだ。
似たような気持ちを抱えている人にこそ共感してもらいたいのだ。
そういう人がひとりでもいれば、それはとても幸せなことだろう。

万人受けする文章はやめて、少数派に共感される文章を書く。
それは本来、僕が理想としてきたスタイルだ。
そんな文章を書く。書きたくなったときに書く。誰に遠慮するでもなく書く。

投稿は毎日かもしれない。数日おきかもしれない。一日数回かもしれない。
物書きとして背負っている責任はそれほどないので、
ひとりの日本人として常々思ってきたことを、
この「オリンピック禍」に、存分に表現してやろうと思う。

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