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順応力の話

引き出しを極めていくと、無限の剣製みたいになるのかな…とか最近思ってます。天ノ川シリウスです。

今回は、その人の許容できる範囲が広いってモノへの順応力だと思うんですけど、これって経験をちゃんと積み上げてればできるんじゃないかという話をしていきます。

人間は経験のないことを不要と決める

人は、やったことがないことを必要が無いと判断しがち。

「今までやってなかったから…」という根拠。根拠になってないんですよね。新しく始めたことなんていくらでも出てきます。

ずっと若い頃、それこそ中学生の時ぐらいの話だけど、携帯電話を持ってなかった。でも、当時は本当に要らないと思ってたし、みんな持ってるとか別にどうでも良かった。やったことがない趣味や行事も別に必要がないと思っていた。

でも、実際にやってみると実は面白かったんだなとか、携帯に関しては、好きな子とメール出来るようになって夢中になった。やっぱり…要ります嘘でしたって。

人は結局、具体的に見えてないと無くてもいいんじゃないかと、すごいテキトーな判断を下す。この判断にはリアルな根拠がない。あくまで机上で判断しましたって感じの、現場感がない理由なら考えられるかもしれないけど。

知らないんだから当然のことで、知らないことを断定してしまうクセがある人は、知ったかぶりをするクセがあって、これはやめた方が良いと思う。

全部を経験しなきゃいけないわけではなく、似たような経験とか、繋げられるような経験があればわかると思ってて

やってみて、参加してみてあまり響かないこともあるけれど、実際どうかはやってみた後じゃないと全くわからない。

決して、誰かの好きな物に、こんなものは絶対要らないだとかそんなことは言うべきではない。

少なくとも、経験不足から来る判断は正しいのか?…といえば大体の場合間違ってる。

「知らない」人をダメとは言えないけど、「知らない」のにも関わらず、決めつけて話してしまうのは危険だ

全部知らなきゃ語っちゃいけないわけではないけれど、不確定要素の高いものは控えめに言葉を選ぶべきだと思う。

勝手な想像で人を傷つけるのは罪深い。

だから、経験が必要なのではないか。

同じ体験を積めないこともある

経験といっても、どうしても体験できないような経験もある。

特に男女においては、生物的な違いで同じ体験を積めないことがある。脳の作りがそもそも同じでないことは有名かもしれない。

こういった場合にも、まるで知ってるかのように語るのはどちら側も良い気はしないのはわかるだろう。男は〜とか女は〜とか。何がわかるんだー!って変な戦争が始まります。やめましょう。

しかし、ここで誤解して欲しくないことは、どうせ男(女)なんだからわからないんでしょ?というのは、両者辞めていきたいわけです。

この差はどうにも体験では埋めきれないところがある。だからこそ、具体的に相手の立場に立つイマジネーションが結構大事になってくる。

分からないなりにも、お互い歩み寄らなければこの差を埋める(完全には埋められないけど)ことが不可能になってしまう。

全部はわからないけど、お互いわからんくてごめんね!っていうような発想のクッションがないと、無理なものが無理なもののままになってしまう。

100%わかるのは、めちゃくちゃ難しいから、優しさを持って柔軟に対応する方式の方が順応力が高い。

大抵人間は、互いの経験が一致していない場合でも、趣味が同じでなくても上手くやれる。仕事も、恋愛も。同じでなくてもどうにかなる。

僕の友人だって、同じ趣味じゃないな〜って思うこともあるけど、別にそんなのは些細な差なのだと僕は考えているから、大したギャップに感じていない。

誰とでも話せるようなネタはあるし、合う合わないも結局自分の幅の広げ方次第なのではないかとも思う。

まとめ

見たものを右から左に流すだけでは、本を読んでも経験をしても意味のある情報にならないのは間違いない。知ったことや起きたことを咀嚼する力は別で必要と思ってます。

経験を受け取る力と、経験を取りに行く積極性、相手の立場に立つイマジネーションと、相手に歩みよる優しさ。これらを総合すると、順応力って仕上がるんじゃないかなと思います。

この順応力、日本人は低い人と高い人に大きく分かれる傾向にあるんじゃないかと思っています。

すごい嫌々思って仕事やってる人も結構居そうですし、こんなの普通でしょって本気で思ってる人も結構居そうです。

順応力が高いことのメリットは、やっぱり疲れない事にあるのかなと思います。

ちょうど順応力を鍛えたかったんだよねって人は先程書いた通り、経験と発想(イマジネーション)をめちゃめちゃ鍛えてみてください。






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