わたしたちの日常
なにかに夢中になって我を忘れようとする。
そうやって「我という痛み」から意識を逸らしたり散らそうとする。
それが、わたしたちの日常でもある。
依存中毒の最たるものが
思考感情との一体化(自意識)という自分中毒。
あらゆる依存中毒と呼ばれているものは
この 自分中毒 の苦しみを紛らわすためにある。
たとえば、それが行動であれ思考であれ、
「 忙しなくなにかする 」ことによって、
寂しさ虚しさ無力感、無価値感という形であらわれている
「なんでもなさ」をまぎらわせたり、ごまかしている。
悟りと呼ばれているものはこの「なんでもなさ」なのだけど、
これを「まぎらわす・ごまかす」ことをとおして、自ら遠ざかる
、、、みたいなことをしてる。
自我からは 虚無感 無価値無意味さ にしかみえなくて、
「なんでもなさ」が不安・不安定さでしかないから。
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