“なんでもなさ”からの逃走。


あらゆる目的のベースにあるものが 
“なんでもなさ/無価値観” からの あらがい。

その「目的」がなんであれ、
目的のベクトルはやっぱり逃避/逆走であり、
“なんでもなさ/無価値観” からの逃避/逆走のためにある。

そちらに走っても
おんなじスタート地点に戻ってくることになる。

振りほどくことはできない。

どうしたって
この“なんでもなさ”からは逃げられない。

だから、その繰り返し。

依存や中毒というのは 
“なんでもなさ/無価値観” を紛らわすため
そこから意識を そらす ためにおこなわれている。

手法、やり方、方法の デメリット=限界 は
「 目的ありき/目的のためにある 」ということ。

それをを「しよう」とする背景/動機には
「 目的=逃避/逆走 」があるからだ。

たとえば
「知りたい」「理解したい」「わかる」ということを通して
“なんでもなさ/無価値観” を補おう・まぎらわそう としている。

「考える」という行為 思考に中毒することによって
“なんでもなさ/無価値観”から 意識 をそらしている、はぐらかしている。

「なかったこと」にしようとしている。

そうやって自分になにかを補おうとすればするほど、
それは“なにもなさ/無価値観” からの あらがい。

そちらに走っても、振りほどくことはできない。

そうやって もがく ことで
わたしたちは何を得ようとしているのか?

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