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コンティキ号で探検に出た男たちの勇姿

”Kon-Tiki” という1951年に発表された白黒映画を見た。Kon-Tiki とは、ノルウェーの探検家トール・ヘイエルダールが、1947年に南米ペルーからポリネシアまで筏による航海実験を行ったドキュメンタリー映画である。


隊長のヘイエルダールは、命の保証のない太平洋漂流の旅を共にする仲間を決める際に大事にしたことがある。それは、”健康で逞しいこと。それ以上にユーモアのセンスがあること”。なぜなら、大きな問題に直面した時、そこでジョークを飛ばして笑えるくらいの度量があったら、たいていの問題は解決できると信じていたからだ。航海なのに、航海の経験は問わなかった。

彼と5人の仲間は、太古のインカ文明時代を生きた人たちが作ったであろう筏を、資料をもとに忠実に自ら設計、複製版を造設した。1本1トンもある巨大な丸太9本を麻で出来た綱で縛り付け、竹で小さな小屋を中央に建てた。全長15メートルほどの大型の筏舟で釘やネジ、針金などは一切使わなかった。

このなんの動力も持たない原始的な筏で、海流と貿易風だけを頼りにペルーからポリネシア諸島まで辿り着けるかどうかを、自ら命をかけて実証するという冒険に挑んだ。その距離約7000キロ。すごいのは、発起人ヘイエルダール自身は泳げない金槌であったことである。

机上計算では、理論上全てが順調に進んだ場合、ポリネシアの島に到着するのに97日間かかる予想だった。この日数に従って、水や食料は4ヶ月分調達した。

誰もが無謀で無理だと言った計画だったが、いざ実行に移すと、予期せぬ事を色々と発見した。

出航後の24時間は、皆で絶え間なく舵取りをし、交代で舵取り2時間、休憩3時間という体制をとった。当番の間は舵と奮闘し、体中の筋肉という筋肉が最大限に緊張し、オールに打たれて体は前も後ろもあざだらけになった。ようやく交代時間が来るとフラフラしながら小屋の中へ入り込んで、脚にロープを結んで寝袋の中へ入ろうとするが、その前にはびっしょり濡れた服のままで眠りに落ちた。とほとんど同時にロープが乱暴にひっぱられて起こされた。3時間経ったのだ。そのまま出て行って、オール漕いでる者と交代。そんな具合で、最初は何もかもが初めてで、ただ舵をとることに必死だった。

6人は海に魚がいることは知ってはいたが魚釣りという発想はなかった。ところが、ある朝起きると夜の間にトビウオが海から勝手にデッキに上がってきて何匹もバタバタしているのをを見つけた。それは、早速彼らの新鮮で上等な食材となった。すると今度はそれを餌に使うことを思いつき、すぐに10キロ以上もあるシイラやカツオなどを引き上げ、何日分もの食糧にした。雨が降れば屋根から水を集め飲料水を得た。自然の恵みが生きる糧を供給してくれたので、餓死することは不可能だった。またイカから取ったイカ墨をインクにし、航海日誌を書いたりもした。4ヶ月分用意した食料は不要だったものが多くあった。

ポリネシア諸島を目指し、太平洋を貿易風と海流を頼りに漂流するコンティキ号

各自一人一人が責任分野を持っていた。そして誰も他人の仕事の干渉を一切しなかった。大変な仕事は、みんなで平等に分担した。規則や決まり事はほとんどなかった。リラックスできる日は、皆が思い思いの過ごし方をした。

私はこのくだりは社会のあり方を考える上で非常に示唆に富んでいると思った。これこそが、本当の自由ではないか。そこは狭い筏で四方は海。常に六人全員の命がかかっていて、文字通り運命共同体。一人の振る舞いが即座に全員に影響を及ぼす。事の次第では全てが台無しになることは誰もがわきまえていた。その上で、毎日各自が自分の本領を存分に発揮した。理想的な社会の縮図だと思う。協力とお互いへの尊敬、信頼、そして朗らかさがあれば、規則や法律など必要ないことを、彼らが如実に模範を見せてくれた。


コンティキ号探検記より


何週間か経った頃、6人は大海原に漂いながら、真の平和を感じていた。新鮮な潮の香りと風、澄んだ海と空が心身を清めていた。隊長の日誌には「筏の上の我々にとっては、文明人の大問題は偽りであり、幻であり、人間の心の単なる見当違いの産物のように見えた。」とある。

航海中は、筏より大きい巨大なジンベイ鮫がゆっくりと近寄ってきて筏の真下を通ったり、一人が海に落ちる危機に瀕し仲間の一人が即座に飛び込んで懸命に救助する場面あり、何日も続く大嵐に筏が数メートルもの波頭に持ち上げられては落とされを繰り返したり、ついに島を発見し到着するまでの極め付けのクライマックスはハラハラドキドキ感動の連続だ。

ところで、彼らがこの筏を作った時、古代のインディアンは一人も生きていなかった。だから当時の人々がどのように筏を操ったかなど直接指導を受けることは不可能だった。にも関わらず、ヘイエルダールは信念を持って昔のやり方通りに作り、再現することに成功した。後に彼は「海は行く手を拒むバリアではなく、私たちを運ぶ助けをしてくれる存在だ。」と振り返った。
出航から101日目、コンティキ号はついにポリネシアの島に上陸を果たした。ほぼ計画通りだった。


志を一つにする男たちが、広大な太平洋で点のような筏の上で天人合一を体験した。それはまるで、全ては天与だと悟ったかのようだ。この珠玉に満ち溢れた男たち勇姿は誰しもの琴線に触れることであろう。




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