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おばあちゃんのおひざもと 第2話     大正3年(1914年)サンタバーバラで誕生

「いまはあんまり聞かなくなったけど、昔は養子縁組っていうのがよくあってね。おばあちゃんのお父さんは男の後継のいなかったお母さんの家に養子として迎えられたって聞いたよ。おばあちゃんの両親は三重県にある片田っていう村の出身。志摩半島の南にあって、村の一方は太平洋、もう片方には英虞湾っていうがあって、海に挟まれているような場所。小さな貧しい漁村で、外の世界から隔離されたような僻地なのに、なんでかここの村から大勢の人が明治時代にアメリカに渡ったんだよね。なんでも片田出身の人が横浜からアメリカに渡って数年後に帰ってきたときに、「あっちではお給料が桁違いに高くって、垢抜けた生活をしてる。こことは全然違う。比べものにならない。アメリカでは真面目に仕事さえすればいい生活を送れるよ」っていう話を村の人たちにしたんだって。それで、その人がまたアメリカに戻るときに、「一緒に行きたい人はいないか」って村の人に呼びかけたらしい。片田では当時みんな貧しい生活をしてたからね。お米を買う1円、2円に困っている人達が、3百円も稼げるなんて聞いたら、夢のような話で行ってみたい、行ってみるかっていう人が集まったんだろうね。それで実際にその人がまたサンフランシスコへ戻る際に一緒について渡ったのが最初の移民集団。

その後、本当に日本の家族に仕送りができて、それでも向こうで十分な生活が送れることが分かったもんだから、後から後から、先に行った人達を頼ってアメリカに渡った人が片田から続出したらしい。おばあちゃんのお父さんとお母さんもその中の人りだったってわけ。おばあちゃんはね、カリフォルニアのサンタバーバラっていう所で生まれたんだよ。私が生まれた時、両親はJohnston Fruit Company に雇われて働いてた。私の父が英語が達者だったから、そこで多く雇われていた日本人の上司的な役割をしていたみたいだね。母は社員食堂で大勢の人の食事の世話をしてた。湯気の出てる大きな鍋をへらでかき回したり、食事を運んだり、片付けをしたり。そんな母の働く姿を見ながら、おばあちゃんは食堂にある大きなテーブルの下をくぐったりして遊んでたのを覚えてるよ。」

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隠されたメッセージ。いろはかるたの小説版。最初から最後の章まで、各章の頭文字を書き出していくと、最後にこの本の核心が明らかになります。かるた同様、お遊び感覚でも楽しめる本です。

大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。ロサンゼルスの大都会…

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