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おばあちゃんのおひざもと 第23話 ロサンゼルスオリンピック団と共にアメリカへ渡航

「ロサンゼルスにいる親元のところへ、女学校卒業と同時に戻ってね(昭和7年、1932年)。18歳の時。高等学校を終えたら子供は親のところに戻るもんでしょう。横浜までは片田からおじさんが一緒に見送りに来てくれた。乗船して、出航の準備が整うとね、汽笛の合図が響き渡るの。埠頭からは見送りの人たちが大勢、大きな声で別れの言葉を叫んで、私たち出港する側は、紙テープを投げたり、大きく手を振ったり、泣いてる人もいたり。盛大な別れの場面だよ。船出っていうのは。

この時は横浜からハワイが1週間。ハワイで燃料や食料なんかを補給して、ハワイからサンフランシスコまでが5日間。サンフランシスコからロサンゼルスまで一晩かかった。あの時に乗った船は”龍田丸”。ロサンゼルスオリンピックに参加する選手たち300人とたまたま一緒に乗り合わせてね。三段跳びで一位になった南部忠平や、三位になった大島鎌吉なんかを見たのを覚えてる。

ようやくロサンゼルスに着いたとホッとしたら、そこで移民局に足止めされちゃって。なんでか入国させてもらえなかった。すぐそこの、もう見えるところで両親が待ってるのに、出してもらえないの。後から聞いたら、なんでも二重国籍を持っているという書類に不備があったとかで、二晩移民局にある部屋に泊まらされる羽目になっちゃった。母親が可哀想に思って、毎日朝夕五目飯だとか、おにぎりや、お弁当を届けにきてくれたけど、私は食事が三度三度運ばれてきてたから、お腹は空いてなかった。あれは日本の政府がしっかりしてたのかしらねえ。外務省から食事が手配されたようなことを聞いた気がするんだけど。隣に1日に2回しか食事が出ないメキシコ人の大家族がいたから、母からの差し入れは「食べますか?どうぞ。」ってあげちゃった。だって子供もたくさんいて、お腹が空いてるみたいだったから。聞いたところによると、あそこで17日も足止めされて人もいるらしいよ。」

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隠されたメッセージ。いろはかるたの小説版。最初から最後の章まで、各章の頭文字を書き出していくと、最後にこの本の核心が明らかになります。かるた同様、お遊び感覚でも楽しめる本です。

大正3年、1914年にアメリカに生を受け、22歳までに3度も船で太平洋を横断し日本とアメリカを行き来したおばあちゃん。ロサンゼルスの大都会…

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