セナのCA見聞録 Vol.44 象に乗って山越え、山岳民族との出会い タイの旅 中編
象に揺られて🐘
いくつかの山を徒歩で超え、ある谷を下ると、象の調教で有名なカレン族の村に到着しました。
カレン族とは、焼畑移動民族だそうで、狩猟をしながら生活しているといいます。
そこはなだらかな山間の村で、ぞうがたくさんいました。
昼食の後は、いよいよ私たちも象に乗っての山越え。
バス乗り場ならぬ、象乗り場には、見上げるほどに高い象の背中までよじ登る用に、踏み台がちゃんと用意されていました。
象の背中には二人乗り用の座席が取付けられていて、そこにたどり着くまでぎこちない私たちを、象さんは静かに微動だにせずじっとしていました。座席はに腰を落ち着けると、「わーい。象さんに乗るなんて初めて!」「すごい、高ーい!」とめちゃくちゃ興奮。
ぞうさんはノッシ、ノッシとゆっくり歩き始めました。
ぐわん、ぐわん、ぐわん。
大揺れの歩き方、そして座席の板の固さから、10分もするとおしりの痛さに耐え切れなくなりました。
象の足が地面を踏む度に”ドスン”という衝撃が体に伝わります。
ただでさえ足場の悪い山道を歩いているわけですから、乗り心地は決していいものではありませんでした。というか、堪え難い!
そのうち、私たちはお尻を浮かせたままバランスをとって中腰で前のめり、という、相当辛い姿勢を保ちはじめました。その姿勢が辛くなると1分かそこら腰を下ろし、象の足が地面を踏み込むと、その瞬間板が反動で持ち上げられてお尻から背中まで強烈に痛いので、また中腰に前屈み。また中腰に疲れると、腰を下ろしては一瞬だけ座り、の繰り返し。どっちの姿勢でも痛くて、もうたまりませんでした。
最初にあげた「キャー楽しそう」という興奮の声は「イタイ、イタイ」という悲痛の声にあっという間に様変わりしていました。
おまけに、象の飛ばす唾液(?)は大量で、背中に乗っている私たちにまで容赦なくぴしゃぴしゃかかってくる。鼻を上げて呼吸する時、空中に、しかも後方にもかなり飛び散るので防ぎようがない。服はビショビショに近い。
ようやく山を降りて目的地に到着。お尻から腿からふくらはぎまで、ヒリヒリでした。膝はブルブル。降りる前に象の頭をなでなでさせてもらいましたが、まあまあ、太い針金のようにゴワゴワしていて剛毛中の剛毛でした。毛というよりは鋼。
ノッシ、ノッシ ノッシ 🐘
今までにいろいろな乗り物に乗りましたが、象はやっぱり特別な乗り物でした。
この日はアカ族の村落に泊まりました。
女性が頭に兜のような尖った変わった帽子をかぶっているのが印象的でした。ジャラジャラとコインやメタルの飾り物がいっぱい付いた、見るからに重たそうな帽子。帽子の飾りには意味があって、その飾り付けによって村の人には様々なことが理解できるのだそう。
衣装は手縫の衣装でとても鮮やかで。規則的な配列模様は祖先との繋がりを大切にしていることを象徴しているのだそうです。
村の女性の一人が、宿泊場所に現れ、身振り手振りでこの衣装を着てみるように勧めてくれました。着てみると、肌触りが全然違うことと、その重さにちょっとびっくりしました。それに加え、おばさんの静かな動作と落ち着いた目がとても印象的でした。
電気、水道、ガス、電話といった文明機器の一切ない生活に身をおいて、たったの2日ですが、私は不自由さどころか、心地よさで満たされていました。
朝起きてから夕方までひたすら歩く。ただ歩くだけ。
それにしても、こういう自然の中にいてテレビや車、電話や電子レンジなど、機械のない場所にいると、時間に対する感覚がガラッと変わることに気づきました。電子音や機械音は一切ないし、自然の時間の流れに沿っている感じで、悠久のゆったりした時の流れに身を委ねている安穏。やはりイライラやストレスなどは、都会生活が作り出す人工的産物なのだと思わずにいられません。
やっぱり人間は自らの足を大自然の地面と接触させないと、本当に地に足のついた自分にはなれない気がしました。
普段は眠っている本来の人間が秘めている才覚、才智がビンビン活性化しはじめた、そんな感覚を得たトレッキングの旅でした。