
すべてのいのちをつなぐ鐘の音を
9月の終わりにエリーゼ音楽祭というコンクールの予選に出場して無事予選を突破することができました。
結果発表を待つときは本当にドキドキしましたが、自分の音楽の素晴らしいところを評価してもらえたのが本当に嬉しかったです。

というのも今回の予選でテーマにしていたのは「自分の音楽を信じる」ということ。
歴が浅いこともあって、これまでどうしても色々気にしたり引け目に感じてしまうことが多々ありました。
それでもちゃんと「自分の音楽を信じよう」と心に決めて挑んだのが今回の予選でした。
その分、その演奏がどう受け取られたのか怖くてドキドキしていたのかもしれない。
でも、そうした結果以上に「自分で自分を本気で信じる」ことをしてあげられて、ずっとどこかにあったわだかまりが溶けたような、満たされたような、癒されたような、そんな感覚がありました。

さて予選が終わったのもつかの間。1ヶ月後の本選ではどんな演奏をしようか。
あとから振り返ってみて予選の演奏が「自分のため」だったのなら、本選は誰か「他の人のため」に演奏したい。
そんなことを思っていた時に浮かんできたのがこの「すべてのいのちをつなぐ鐘の音を」という言葉でした。
イタリア語で「鐘」を意味する「ラ・カンパネラ (La Campanella)」

鐘の音はいったいどんな社会的な意味を持っているだろうか?
鐘の音が告げるもの。
始まり、終わり、勝利、別れ、弔い。
それはときに祈りであり、ときに悼みであり、ときに祝いである。
古今東西で見ればここ日本でも。
除夜の鐘が煩悩を打ち払うようにときには魔を払い、
祇園精舎の鐘のようにときには儚くうつろい、
柿食えば鐘が鳴るなりというようにときには生活を共にする共同体感覚を育む。
音楽を通じて世界の調和を知る

この曲を作ったリストやパガニーニが、果たしてこんなことを考えていたのかというとそれは分かりません。
でも鐘の音が持つ文化的/精神的な意味合いが無意識的に反映されているということはあるのかもしれません。
そもそもリストは音楽の何を信じ、音楽を通して何を追い求めたのだろう?
そんなことを考えていてふと思い出したのが『のだめカンタービレ』の一節。

「一」がつながりあっている
「世界の調和」とはどういうことなのか。
答えのごく一部として今の私が感じること。
それは分離している自己とつながること。
そして、そのうえで他の人や自分の周りにあるものとのつながり・関係性を結び直してゆくこと。
宇宙を意味する「universe」は「uni-」(一つ) と「versum」(転ずる・変える) からできていて「すべてのものが一つにまとめられたもの」を表している。
この世の全ては無数の一が繋がり合って出来ている。
思わず鋼の錬金術師に出てくるあの言葉を思い出しました。

ということで、コンクールの本選へエントリーする際に提出したこちらの文章を添えて結びとします。
本選は 11/6(火) 、時間は正式なアナウンス前ですが朝9~10時過ぎ頃、大手町の日経ホールで演奏予定です。
今の自分が持つ答えをこの世界に向かってぶつけてきます。
平日の朝ではありますがお時間が合う方は聴きにいらしてくださると嬉しいです。
「すべてのいのちをつなぐ鐘の音を」
誰のためにこの鐘は鳴るだろうか。それは、この星に生きるすべての人のため。私のためであり、あなたのためであり、名前も顔も知らない誰かのため。私たちは決してひとりではなく、目には見えない生命 (いのち) の繋がりの中に生きている。すべての人はこのひとつの大きな生命の流れの一部であり、互いに響き合いながらこの世界を形作っている。深く鳴り響く鐘の音が、その繋がりを感じさせ、私たちの心に共感と調和をもたらすとともに、誰もが真に理解し合い、自らのいのちの響きを解き放っている未来へ導いてくれることを願っています。
