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ムナポケさん『紙』_感想書き殴り

先に言い訳しますが、私は劇評家でもなければ言語能力もないので、立派な文章は書けません。
私のためのメモ書きです。とても順不同です。

「そんな解釈じゃねえよ」と不快な気持ちにさせてしまったらすみません。



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まず、16日Aチームプレ公演。
この記念すべき初回を観劇できて本当に良かった。
だって初回を見逃せば全4公演は観れなかったんですもの。

実は私、9月に一度「紙」の稽古見学をさせていただいていまして、その際に台本も読ませていただいていたので、結末も知っていたし、00番と1番の関係についても知ってはいましたし、冒頭の「商品です」「サービスです」のモーションも観させていただいていました。

いや、観てたし知ってたはずなんですけれども。
いきなり後半に飛びますが、中東が別たれたあたりから、とにかくよく分からないけど涙腺に影響を及ぼしていました。
00番が、砲撃を受ける大衆の間を周回しはじめたあたりで決壊しました。
この時点で全通を決意しました。

観終わってからホテルまで、目撃というか、もはや巻き込まれた現状を言語化してみようと試みましたが、徒歩8分では無理でした。


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紙飛行機を飛ばすという演出への参加に関しては、行動だけ見たら観客も「当事者」「加害者」に強制的になったとは思うのですが、あくまで事実は「紙飛行機を飛ばす行為」だったわけから、その行為に躊躇いが生まれづらいのが私は逆に怖かった。


でも何より怖かったのは、2日目の11時回と14時回、客席の笑い声が多かったことでした。


もっと書くと、楽しそうに笑って投げていた年齢層が割とはっきり分かれていた感じがして、それもまた恐怖とその他色々のない混ぜで。
「戦争の始まりってこんなもんなんだろうな」っていうのが本音です。
文明の発展だと思っていたものが、結局こういう歴史の過程に使われるのかというのが、悲しくて、呆れて、情けなくて、くだらなくて、泣いちゃった。多分。

作中分からない単語も文章も全然なかったけど、2番の訛りとか、不思議な長い間とか、各番号ごと違う音の発し方とか、微妙に噛み合ってない会話もどきのようなものとか、同音異義語とか、言葉の遮りとか、少しずつ積み上げた摩擦って虚無に発展するんですね。戦争と書いて虚無または無意味。


突然の関係ない話ですが、いま「かみあってない」って打ったら「紙あってない」と出てきて頭を抱えました。


話を戻して、その摩擦を理解して欲しくて日本語を紡げば紡ぐほど、とんでもなく絡まっていくから、争いに発展することに恐怖もありつつ、そこまでのプロセスに納得してしまった部分もあり、やっぱりその自分の思想が悲しくてキモかった。

難しい日本語が使われていないからこそ「きっと理解ができる」と思い情報を得てみようと耳をすますけど、やっぱり意味は全然分かりませんでした。分からないからああいった結末になったんだと思うのですが。

4回見ても、「わかるけどわからない」状態でした。
母国語でこんなに理解できない状況起こるのかなって思うけど、国会中継とか選挙演説ってそんな感じだよな、でいまは落ち着きました。落ち着いてないけど。


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各番号の皆さん、それぞれシーン的に見せ場もあって人間性だってあったのに、終盤に行くにつれて、どんどん「大衆」になってしまうのが悲しかった。
だからこそ、90分かけて、語り手の核心にゆっくりと触れていった感覚はありました。

最初は1と2から始まり、たくさんよんで、二つに分かれ、また1と2になり、最後は1。
結局一方が勝ったとて、何も得ていないどころか、すり減るまでのただの時間稼ぎだなと。

こんなことのために選挙行ってんじゃねえんだよ、って今感想を書きながらまた怒りが込み上げてきました。
というのを書いて、この作品で私が得たのは怒りかもな、になってきました。


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祈りについて。
普段手元にある脚本や普段受けている演出的に、祈りの概念をAチームの00番を演じた草野さんからよく聞かせてもらっています。
00番の「私は紙を折り続けます」は、音として発せられた印象としては、「私は祈り続けます」に捉えられました。
ただ普段草野さんから聞いている話だと、「祈りは呼吸と一緒」といった概念?距離感?として理解していたので、00番の祈りはセリフにもあったように、呪いとかに近い印象を受けました。

00番が投げた紙飛行機は娘の目を救ったけど、我々が投げた紙飛行機は奪い合い。実際他のお客さんの後頭部とか肩に当たったり、当てられたりしてましたし。

これ以上呪いも恨みしないが祈りもしない、といった突き放し感を、00番から受け取りました。ただの私の感想です。
でもそれは突き放していたわけじゃなくて、00番が我々に答えを示してくれるんじゃないかという期待を持っていたのかもなと今思いました。
00番はあくまで歴史を語っていただけなのに、この人が何かしてくれるんじゃないかとか、答えを教えてくれるんじゃないかという期待を持ってたって、これまた自分の思想に嫌気が差します。


愛について。
8番は前半からずっと「愛」という単語を発していましたが、その愛をずっと発語していた本人は、作品の中で一番何もしていないな?という気づき。
サービスや商品について案があるわけでもなく、後半の1と2に具体的な解決策を提示するわけでもなく。
愛だけではないかもしれないけど、「声に出す」と、急に重みがなくなったり、意図が変わってしまったり、争いの種になってしまったりするよなと思いました。私も心当たりがある…。

それと対なのが10番のAIなのかしら、と思って観ていました。
前半はAIが発言する度にどこか気まずい空気になり、各所から暴力を受けていたにも関わらず、危機的状況になった途端、人は数字に信頼を置くのかと不思議な気持ちになりました。
前半と後半では、8番と10番の立場が逆になった印象でした。
立場が逆になったというか、AI…………って打って気づきましたがAIってアイだ……………。


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00番と1番。
Aチームのお二人は、同じ人物であるという前提で、イマジナリーフレンドみたいな距離感だなと思いました。
すごくチープなイメージになってしまったら申し訳ないのですが、双子とか、守護霊とか、スタンドみたいな。

1番が持っている情報量は観客に近い感じがして、カメラ的役割なのかなと思って拝見していました。謎の親しみやすさが私としては残酷で、前半から後半にかけて、クレッシェンドで観客を当事者にしてくれた感じがしました。観客とのコミュニケーションもありましたし。
1番をやられたお二人が喋り出すと謎の安心感があって、なにか縋りたい気持ちになり、知らず知らず1番に責任を追わせていた感覚があります。
終演後、ロビーでお二人を見かけた瞬間「ごめんなさい」と出かかりました。

あとこれはどちらのチームにも共通した印象だったのですが、ラストに00番と1番のお二人だけが佇んでから1番は00番に、00番は1番に、魂とか波長といったものが寄っていった感じがしました。水滴と水滴がくっついた瞬間に、橋がかかったみたいなイメージ。ニュアンスです。
Aチームのお二人は特にその印象が強くて面白かったです。

00番はなんというか。00番であり、12番であり、語り手でした。
脚本演出の永井さんと一番近い認識を持っているのかなと思うような。言葉のひとつひとつに、紙が持つような重みも軽さも感じる。
1番の未来の姿ではあるはずなのに、その後の1番の生活や思想は予想させない隙のなさ。なのに我々に思考を放棄させない余白がある。
途中で「あの白い鳥が娘の目を救ったのだ」という誰かの認識が、00番の救いになればいいと願いました。

00番や1番だけでなく、「紙」という作品に私が一番魅力を感じたのは、「それ以上でも以下でもない」といった余白かもしれないです。


舞台作品を全通したのは初めてでした。


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取り急ぎの感想になってしまいましたが、一旦ここで。
それぞれの方や、演出トークについても書けたらいいなと思っております。

駄文にお付き合いいただきありがとうございます。
この素晴らしい作品に出会わせてくださった座組の皆様、本当にお疲れ様でした。ありがとうございました。

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