創作小説『ガラスの少女』#4
#3の続きです。
ぬるい空気の廊下を歩いて教室に向かう。空腹が胃を蝕んでいる。次の授業は絶対にお腹が空くに違いない。
それでもなぜかトクトクと胸が高鳴っていたし、足取りは軽かった。
教室に戻ると、当然沙耶香と実里はお弁当を食べ終えていた。二人に何か言った方がいいかと思い足を向けようとした瞬間、彼女らが目配せをしたのに気づいた。
廊下を歩いていたのとは別の音を立てながら鼓動が速くなる。二人の方へ踏み出しかけた足は、結局自分の席の方に向けた。
背中に嫌な視線を感じる気がするのは、きっと気のせいじゃないんだろう。聞こえるはずないのに二人の会話が聞こえるような気がした。
5限目の授業の先生はいつも少し遅れてくる。おにぎりひとつくらいは食べる時間はあるはずだ。しかし、当たり前だけどそんなものを食べる気にはならなかった。
嫌な視線を耐えている数分間は、まるで身体中をちくちく針で突かれているようだった。
教卓側のドアががらりと開く。ようやく先生が来たのかと顔を上げるとそうではなかった。入ってきたのは、あの小さな部室から戻ってきた清水さんだった。自然とクラスの視線が教室の前に集まる。清水さんは、誰の視線も構うことなく自分の席へとついた。
誰がなんと言おうが彼女は美しい。
心から、そう思った。
ずっとわたしは綱渡りをしていた。
ちょっとでもバランスを崩したら、もうダメなんだよね。谷底まで真っ逆さまで、誰にも仲間に入れてもらえないの。
もともと見た目は派手じゃない。部活もそんなに上手じゃないし、勉強だってできなくはないというだけ。全部普通。そんなわたしが囲まれた社会で生きていくには、必死にみんなと同じようなことをするしかなかった。
同じようなものを持って、同じようなものを食べて、同じような話題ばかり話して。
面白くなくとも誰かと笑って、誰かを馬鹿にして、誰かにうなずいていた。
でもきっともうそれも終わり。そんな影追いすらできなくなってしまった。
清水さんの秘密を知った翌日のお昼休み。
いつも通りお弁当を持って立ち上がったわたしに、実里が首を傾げながら聞いた時にそれは決定づけられる。
「ああ。今日は食べるんだ?」
もうこっちに来るなよ。まじで迷惑。いつも本当は邪魔だったんだよね。
たった一言なのに、副音声が何重にも重なって聞こえた。
ぎくりと立ち止まる。それ以上二人に近づくこともできなくなったわたしなんて見ずに、沙耶香はお弁当を机に広げていた。境界線は目に見えなくともはっきりと引かれている。
胸につっかえた酸っぱい何かが熱くて痛くて、わたしはお弁当を抱えたまま教室を後にした。
うららかな春の日差しが差し込む廊下。陽気な空気。そんな中をわたしはふらふらと彷徨うように歩く。悲しいのか、寂しいのかもわからない。もしかしたらこれは苛立ちなのかもしれない。
うまくできない自分にか、平凡に悪辣な振る舞いをする友人たちに対してなのか。そんなことを考えても無意味なのに、きっと今頃楽しそうにわたしの悪口を言っているであろう会話を想像して唇を一文字にきつく結ぶ。
ドアの前についた。
やっぱりノックはしない。
からりと横に滑らせて開けば、昨日と同じように彼女は振り向いた。
こわばった顔のわたしに気づいているのかいないのか、わたしを見た清水さんはやんわりと穏やかな顔で笑う。
「……入部希望ですか?」
彼女の手にはシャボン玉のボトル。窓を開けて吹いていたのだろう。立派に部活中だったのだ。わたしはもう部活に顔を出す勇気はないのに。
外に出損ねたシャボン玉が、いくつか部屋の中をただよっている。そのうちの一つがわたしの顔の近くまできて、ぱちんと割れた。
小さく頷く。ぎこちない動きでも、わたしの肯定に清水さんは無邪気に笑い声を上げた。
「部員、初ゲット!」
シャボン液にストローをつけるために下を向いた彼女は、多分、わたしが泣いているのには気づいていたんだと思う。
(続)