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性被害の当事者が思うことって話🌈
こんにちは、アマネメイです。
今また性被害の話題で、世間が揺れていますが、いつもこの話を目にすると、わたしの心が反応します。
なぜならわたしも性被害にあったことがあるからです。
親も警察も知りません。
もうずいぶん昔の話になりますが、今日は思い切ってその話をしてみたいと思います。
それは、高校2年生の誕生日前のことでした。
当時所属していたスポーツチームのコーチに誘われて、2人でご飯を食べに行くことになりました。
30歳くらいでひとまわりほどの歳の差だったと思います。
仲のよいチームメイトにもご飯に行くことは伝えていました。
あの日わたしは、未成年にも関わらずコーチに勧められたお酒を断わることができませんでした。
大人になって知ったわたしの許容量はたったの1杯。
自分がどれだけの量を飲めるかも知らない時期に、コーチの押しを断れず、数杯のお酒をちゃんぽんで飲んでしまったのです。
お店のトイレで吐いたこと、車を途中で停めて吐いたことは記憶に残っています。
そして、次に「着いたよ」と言う呼びかけで意識が戻ったのは、ホテルのベッドの上でした。
頭が痛く意識も朦朧として体にも力が入らない。
言葉すらまともに返せず何の抵抗もすることができませんでした。
それまでそのような相手もいなかったわたしにとって、大人の男性がベルトを外しながら覆い被さってくることは、とても怖いものだという記憶として刷り込まれました。
そして自分は汚いと思うようになったと思います。
大きな罪悪感も生まれました。
1人でご飯の誘いに着いていった自分、お酒を断れなかった自分、全力で抵抗できなかった自分。
どこかで自分のことを守れなかったかなと。
だから当時、警察に相談などとは思わずにいたのです。
確かに自分は、発育がよく、小学生の頃からふざけて触られることもありました。
しかし男子からは、容姿をからかわれるような自分だったため、まさかコーチが、自分を性の対象として見ているとはこれっぽっちも思いませんでした。
そして、まだまだそんな大人の行為は自分とは無関係の世界のことだと思っていました。
後から知った話ですが、処女狩りということを友人と一緒にやっていたようです。
振り返ると、この時のわたしは、スポンジに墨汁が染み込むようなものだったと思います。
自分が汚くなった感覚だったり、大事なものではなくなったような感覚だったりがあり、じわっとそれらが人生に闇を落としたようでした。
そして、男性はそういうものだという概念もその時染み込みました。
わたしは長い年月をかけて、あの時の自分を許してきました。
そして、まるで自分には選択権がないような心理から抜け出すよう、自信をもてる自分であれるような努力もしてきたように思います。
そしてそんな男性ばかりではないということも、いろんな方を見て学んできました。
わたしはいまだに男くさい男性が得意ではありません。
どちらの性なのかわからないくらいの中性的な人にばかり惹かれる傾向があります。
今の旦那さんも、親からはゲイと間違われていて、女性に見間違われることもあったような人です。
わたしはまだまだそんな人に安心感を覚えるのかもしれません。
誘って笑顔だったら同意したと思わないでください。
怖さを笑顔で守っていることがあります。
返事をしないのを同意したと思わないでください。
返事ができないことがあります。
本当に、落ちた自分を回復させることは至難の技です。
どうか、大切なあなたを大切にしてあげて欲しいです。
みなさんは嫌な性の記憶はありますか?
よかったら聞かせてください。
最後まで読んでくれてありがとう!
少しでも共感できる部分があったら
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