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Ni&Teについての認識と、INTJの特徴について
INTJの主機能であるNiと補助機能のTeについての簡単な認識と、タイプとして特徴的な部分や印象的な振る舞いの理由についての考察記事だ。今までに得た知識とその解釈の切り貼り&タイプを笠に着た自分語りといった方が適切だが、よければお付き合い頂きたい。
1.主機能Niと補助機能Teについての認識
Ni(内向的直観)
主機能Niは情報と情報の隙間を想像で埋める機能だ。例え情報が1つしか与えられなかったとしても、その情報のまわりを線で囲った上で余白を想像で埋めようとする。実際の情報と自分で埋めた余白の部分の境界線は曖昧で、全体を真実として認識する。面積比からすれば隙間や余白の方を本質として捉えていると言って良い。だから埋めた余白の色と類似した色を持つ別の情報に関連性を見出す。余白を埋める想像が何に立脚したものかはさておき、これが主機能というのは世界の全てを想像とセットで見ているということだ。
Ni、というかN機能はそもそもこれが優位な人間が少数派だ。しかしnoteはN型の巣窟故、Niについてもユーザー目線を踏まえた分かりやすく詳細な記事が多数存在するという状況になっている。
↑2記事は特に参考になる。ここからは全てこの2記事の情報が共有されている前提で書く。
Niによって得られた確信的な認識がしばしば天啓などと呼称されているのを見かけるが、これはなかなか言い得て妙だ。カッコよく言い過ぎだとか主観的には天啓とは大きく異なるものだとか言いたいことは沢山あるが、非Niユーザーからは(あるいは別のNiユーザーからも)天啓を受けてそれに従う不思議ちゃんに見える可能性が大いにある。Niによる確信はひらめきであり、意識上で論証が行われるのはひらめきの後だという点も天啓っぽい要素かもしれない。どんなにたくさんの情報を集めてきてもNiで最初に見えるのはゴールであって、そこに至る道筋ではないのだ。とはいえその論証、道筋の確認はただ克明に認識していなかっただけの“ひらめきから垂れる糸”を手繰っていくような作業であって、やはり個人的にはNiによるひらめきを天啓と呼ぶのは憚られる。
Te(外向的思考)
機能単体で見ると、外向判断機能というのはどちらもコピーアンドペースト的な色が濃い。これは「判断の基準を外界に求める」という特性から自明で、この文言は「既に存在する判断基準をインプットし、そのままアウトプットする」と言い換えられる。Teは社会的公理、客観的な合理性を自らの行動基準として採用し、それに従った行動を是とする。Feは多数の感情や意向を自らのものとして取り込み、それに寄り添った行動を是とする。
では実際にTeがただのコピペ機能なのかというともちろん違う。理論に対して解体再構築よりも整理の方に重点を置くというだけだ。建築に喩えるなら、同じくT機能であるTiは解体再構築を重視して建物という存在を自分の中で「セメント」「水」「砂」「鉄」のような材料の形まで分解し、それらを複雑に組み合わせて基礎から躯体、果ては建具までを自ら造り上げていく。建築に対してあらゆる面からの理解を必要とし、正しく構築的だ。対してTeは他から引っ張って来た「基礎」「床」「壁」「屋根」くらいのレイヤーのものを組み合わせる形で建築する。基礎や床がどういったものなのかはある程度理解しつつも、主たる作業は組み立てのみだ。独創性は比べるまでもなくTiの方が強いが、客観的にとても建築物には見えないもの、バランスの悪いものを造ってしまう可能性も孕んでいる。Teは基本的に誰から見ても建築物と分かるものが出来るし完成までが早いが、独自性は薄い。
また別の喩えになるが、Teについて考えるときによくところてんを想起する。ところてんをところてんたらしめるあの形にするための道具をところてん突きというが、あれがTeだ。ところてん突きの箱型の筒の出口側についている格子状の網目を通ることで、ところてんが整った形を成して出てくる。Teとそれを通してアウトプットしたものというのは正にそんな感じだ。素材の形(インプットするものの形)が整っていないという点で、製麺機の方がより近いかもしれない。何にせよ、型という言葉がよく似合う機能だ。
仮に主機能を拒絶することはできないのだとすると、Ni主機能勢が補助機能に外向判断機能を持つという論はある意味で合理的だ。他と比較して頭一つ抜けて理解され難い機能であるNiは、コピペ的な色を持つTeFeで支えるのが社会動物として自然だと考えることができる。(人間の感情や意志の不安定さや多様さなどを考慮した視点から見るとFeはNiの補助としては相性が悪いと思われるため、自認INTJの僕からしてもINFJというのは頭抜けて不思議な存在なのだがそれは今回は置いておこう。)この話に関しては完全に個人的な感想なので、軽くスルーされたい。
2.生まれてこの方「変なヤツ」
INTJがマジョリティの目線からして変わった人種であることに異論がある人は少ないと思う。僕も変なヤツだという自覚はある。いや、100%納得しているわけではないのだが、これまでの人生で嫌というほど思い知らされてきた。自認というのは往々にしてそうやって形成されていくものだと思う。
地に足がつかない主機能Ni
10代前半あたりまでに焦点を当てると、変なヤツ扱いの原因は主機能Niによるところが大きいと思われる。現実を生きる我々がNiを現実に即した形で機能させるには、現実的な学びや法則を束ねた体系的な知識を土台にする必要がある。この土台が大きくそして強固なものになって初めて、Niの想像は地に足がつく。Niの足元はNiで短期的に固められるようなものではないのだ。現実に即した知識を体系的に取り込むにはどうしても時間がかかる。特に日常生活や対人のコミュニケーションにおいては経験というのもかなり重大な情報源だ。Niを主機能に持つということは見えない部分を想像で埋めること自体がその想像の客観的な妥当さよりも優先されるということであり、その想像を妥当で現実的な方向に引き寄せるための土台がしっかりしていない段階ではわけのわからないことを言っている変なヤツになる可能性が高いのだ。
しかし、10代前半までの生活においてNiが強みだけを如何なく発揮できるところがある。それが勉強だ。膨大な動作や思考の組み合わせである日常生活と比較してNiを発揮するための土台は小さくて済む上に、学校教育のカリキュラムはその時点で習得していないものを使わなくて済むように組んである。公式や法則を理解し、それを応用して問題を解くというのはそのままNiの得意分野だ。と、ここまでは良いのだが先述の通り基本的には変なヤツであるため、「勉強ができるだけでわけ分からんこと言ってる頭でっかちの変なヤツ」が完成する。
血も涙もないTe
補助機能は10代から本格的に意識に上がるとされる。TeはNiの土台を固めるのにも当然役立つのだが、1つ対人関係で問題となる要素を持っている。感情に対する配慮が弱い点だ。Teは社会的な公理に従うことを是とすると述べたが、数多の人間を動かす社会的公理というのはシンプルで明確である方が都合が良い。そのTeにとっての管轄外として最たるものが個人の感情だ。こんな弩級の変数をいくつも考慮していたら中々回答が出せないので、そもそも考慮しないのが効率的だ。だからTeが人を見る目には常に能力と成果の程度を測る目盛がついている。極端な話、人間すらも何かしらの方法で定量化してしまうのが最もシンプルなのだ。(ここまで極端な思想の持ち主はそうそういないだろうが。)
実際には感情というのは人間の構成要素としても意思決定の際の羅針盤としても重要であるはずだが、Teはこれを重視しない(後述するが、人々の感情の動き方も公理として整理できるなら考慮しないわけではない)。これが表出してくると、対人関係では少々厄介だ。普段は現実に焦点が合っていない変人のくせに人に対してはシビアで現実的な部分が目立つという非常に取っ付きにくい人物になる。社会を動かす原理原則に根差した価値観というのは、納得されずとも理解自体は比較的簡単に得られる。しかし普段から突飛な考えを垂れ流す個人にそういった面を見せられると困惑する人も多いのではないだろうか。理解され難いNiを助けるはずのTeだが、このように変人としての評価に一役買っているところもある。
3.未来志向
INxJ、またはNJ型が未来志向というのはよく見聞きする。その原因はやはりNJ型に共通している機能、つまりNiだ。
未来を見るNi
空白を埋め、物事をなんらかの形で関連づけるのが本分であるNiにとって、現在と地続きかつ必ずやって来る未来について何も想定ができていないというのは不自然で怖い状態だ。だからごく自然に未来へと意識が向くのではないかと思う。未来は埋めるべき空白で溢れている。
Niがゴールや結論を最初に見る機能だというのも重要だ。時間の流れには逆らえない以上、行動や選択の結果は必ず未来にある。必然、今現在の状態、情報からNiが見るゴールは未来のものになる。というか個人的には、Niは時間と共に生きる人類が未来を見るために生まれた機能であり、未来を想像するための目でこの世の全てを見てしまっているのがNi持ちのタイプと表現するのが適切な感じがする。Niの全ての特徴は未来を見るための能力の副産物にすぎないのではないかと。情報の関連性、パターンを強く認識するのも、現在の状態と地続きに変化した結果の未来を想像する力を応用しているのではないか。過去の話をするにしてもNiが好きなのは出来事の因果関係や原因の究明であり、これはそうすることが未来の予測に役立つからだと考えると自然だろう。
4.目的達成志向
目的達成意識の高さもよく言われるINTJの特徴だろう。目的、目標は必ず未来に存在するものであるので未来志向が出発点なのは言うまでもないだろう。
能力主義・成果主義のTe
未来に向かって進む過程に強く影響するのがTeだ。Teの視点では、人間に対しての尺度は常に能力と結果だ。これはもちろん自分にも適用されるので成すべき未来、達成すべき目標を実際に形にできない自分に価値はない。見えた未来や立てた目標に向かっていかないという選択肢を持ち得ないNiと、それを実現しないと気が済まないTeが“常に目的意識を持ち、それを達成する”というテンプレ的なINTJ像を形作っている。
変なヤツ扱いされることについて散々述べたが、INTJにとって多数に人間性が理解されないのは大した問題ではない。生物を生物たらしめる根本の要素は生存だ。そしてINTJにとって、この世界で生き残る方法は“ある程度定量化されていて比較可能な尺度で評価できる部分において人より秀でること”以外にない。だから理解されなかろうが変人扱いされようが能力のある人間でいられれば差し当たって問題はない。理解され難いものは外に出さないがそれに基づいた行動から生み出した文句のつけようがない目に見える結果だけを提示する、というのがINTJが成長段階で身につける対外的な基本スタンスになる。「他と比較して頭一つ抜けて理解され難い機能であるNiは、コピペ的な色を持つTeFeで支えるのが社会動物として自然」というのはこういうことだ。
5.自己責任論
INTJには、自己責任論やそれに近い考え方を持っている人間が多いと思う。ただこの話はタイプや心理機能を主語にすると殊更マズそうなので、自認INTJの個人として僕の考えだけを述べる。
原因は原因でしかない
個人的には、選択肢を狭めるような原因が自分以外にあったとしても自らの選択の責任を自分以外に求めるというのは受け入れられない。原因と責任は常に分けて考えるべきであって、自分以外のせいにするのに選択は自分がするというのは親の庇護下の子どもの行いだ。もちろん僕にも環境や他人のせいにして自分を守りたい気持ちはある。しかし現実的な話、自分の選択の責任は自分以外取ってくれないのだからそうやって生きる以外ない。どれだけ世界が悪いものでも自分の選択は自分でするのであって、それに伴うすべての不利益は自分のものだ。
6.対人関係で見え隠れする人間味
身内にはベタベタする
能力や結果重視の姿勢はINTJなりに世界を正しく解釈した結果であって、ありのままを理解されたいという思いはもちろん持っている。(肩肘張った姿勢も間違いなく“ありのまま”ではあるのだが)。だからありのままを受け入れてくれる身内には普段の肩肘張った姿勢が嘘のようにベタベタする。
ではありのままとはなんなのかという話だが、重要なのは主機能Niだ。Niは物事の本質を見ようとするので、これが主機能のINTJは人生における選択の全てに通底する信念のようなものを持っていることが多い。コレを丸ごと受け入れてもらえると結構チョロい。あとは簡単で愛されたい、認められたいという誰にでもある気持ちを普通に満たしてやれば良いだけだ。変わり者扱いされやすく、また社会を弱肉強食の世界だと認識しているINTJにはそういう存在は貴重なのだ。ただ、能力の低い人間をはじめからバッサリと切り捨てて関わろうとしない可能性はある。
意外と感情に配慮する......?
「変なヤツ」の項で述べたが、もちろんINTJが他人の感情を完全に無視するわけではない。NiとTeでも感情に配慮することは一応できる。感情が振れる原因が存在し、因果関係と法則性がある程度見えればそういうものは考慮しやすい。そもそも人間に感情が存在し、それに配慮する人が評価され、その評価が低いよりはある程度高い方が得だというのは明らかに社会の公理だ。感情自体は自分にもあるので理解もできる。共感できるかどうかは別問題だが、自分の目的達成や目前の問題解決に影響しない範囲で配慮する分には問題ない。ということでINTJの他者感情への配慮は、Teが主導していると思われる。
同じくNi主機能で内省大好き、それでいて判断機能に大きく違いがあるINFJと比較してみよう。BUMP OF CHICKENの「ひとりごと」という曲に、こんな詞がある。
人に良く思われたいだけ 僕は僕を押し付けるだけ
優しくなんかない そうなりたい なりかたが解らない
前半部分について、はじめからそういうものだと思っているのがINTJ、自分の行動についての内省、自問自答を経てはじめてこういう自分がいるのではと気づくのがINFJだ(作詞の藤原基央のタイプについてどうこう言いたいわけではない)。Fi-TeとFe-Tiの違いといった方が適切か。後半部分も利他的な優しさに対する葛藤の詞に見えるが、INTJ目線で歌えば利他性を持たない化け物が人間になりたいと願うような詞なのかもしれない。
おわりに
全体として頻出のINTJ的特徴について述べたつもりだ。勢いで書いてみたが、徹頭徹尾抽象的なことを書いている記事になってしまった。文字数も最初に目次を作った時の想定をかなりオーバーしてはちゃめちゃに長い記事になった。読んで少しでも収穫があったのなら幸いだ。