「イレイザーヘッド」とガルガル期
鉛筆の後ろ側についている硬いゴム。
消そうと紙を擦ればうっかりクシャクシャになり、
黒い線は変なふうにヨレて汚れる。
チッ、使わない方がマシだったな。
用紙の上に鉛筆を投げ出す。
そういった経験がある人も少なからず居るだろう。
今回は、胃の中が掻き乱されるような気持ちの悪さが後を引くカルト映画。
イレイザーヘッドの話。
当時、
「ショッキングなので妊婦は鑑賞しないように」
と警告が入っていたらしい(でしょうね)
昔この作品をレンタルビデオ屋で手に取った覚えはあるが、記憶がぼんやりしている。
自分の経験不足からくるリンチ映画へのハードルが高くて、途中で観るのを辞めてしまったのだろうか?
改めて産後の今見返すと、子を持つことに恐怖を感じている男性の姿がこんなに分かりやすく描かれていたのか、と驚いた。
父性は急には産まれない。
未知のエイリアンに恐れ慄くように、不可解で奇妙な幻想はじわりじわりと男を追い詰める。
自分の知らないところで、自分の遺伝子を持った全く別の真新しい生命が産声をあげようとしている。
あぁ、どうしよう。あぁ、どうしよう。
と、そんな心の声が聞こえてくるようだ。
21歳で当時学生だったリンチ本人も、彼女に妊娠を告げられ、予期せぬ家族を持つことにストレスを感じている。
犯罪と貧困が蔓延するフィラデルフィアでの暮らしも含めて、このときの不安な心情が、主人公“ヘンリー”として浮き彫りになっているようだ。
私の経験上、心音を確認できる前のお豆みたいな胎児の状態から、少しずつ少しずつ大きくなろうとしている我が子を見て、しだいに愛情が育まれていった。
「今の私には心臓がふたつある。
そして、それぞれ独立した心音を刻んでいる。」
こう感じたこともある。
それはグロテスクな意味ではなく、ほわっと温かい生命の神秘だった。
こんなに一心同体というのを言葉以上に感じることは、これから先無いだろう。
守りたいと自然に思えた。
男性は身をもって変化を感じないため、実感が薄いのだろうか。
いや、親として子への愛情が生まれる瞬間は、男も女も人それぞれだ。
きっとかなり個人差がある。
引き合いにこのカルト映画を出すのはやっぱりナンセンスだ。
そもそもこの物語の妻メアリーは、実家に帰ってしまうし。
イレイザーヘッドを鑑賞していて気がついたことがある。
今はどうしても出産する立場になって見てしまうのだが、
産む前からこんなに旦那があわあわしていたら、
「おい、父親しっかりせい!
こっちは膨らんでいく腹ん中十月十日赤ん坊育ててんだ。逃げ場なんかないんだ。
覚悟を決めろ。
いいか、2人でおんなじ方向見て、進んでいくんだよ。ふ・た・り・で、親になるんだよ!」
と、目潰しのようなハンドサインをして、
ギャング化してしまう。
きっとヘンリーの首根っこを持ちあげていることだろう。
(気性は荒くありません)
このガルガルした気持ちこそが、今まで自分の中に居なかった母性のひとつだと思う。
母性ってもっとほんわかしたピンク色のもんかと思っていたが…
少しばかり説明が乱暴すぎるが、
たまに言われるのは、産後、父親が育児に積極的に参加するかで以降、妻から「味方」とみなされるか「敵」とみなされるか分かれる、というものだ。
目を離せば命を落とすかも知れない赤ちゃんを、共に育てる同志かどうか見極めているのだろうか。
産後、体が癒えない母親はホルモンバランスの崩れや、疲労、プレッシャーで気性が荒くなる時期があるらしい。
私の夫はこの時期帰りも早く、家事育児を率先してやってくれたので、私のガルガル期はほとんど顔を出さなかったのである。
いや、私が勝手にそう感じているだけで本人に聞いてみないと分からない。
聞いてこよう。
「少しピリついてたくらいじゃない?」
だ、そうだ。
この証言が真実なら、私の中の鬼が最小限で済んだのは、夫が産後の気分の浮き沈みがあることを事前に理解して、対処してくれていたおかげだ。
本当にありがたい。
とはいえ作中のヘンリーはビビりながらも、メアリーのように育児を投げださず、不器用なりに赤ちゃんの面倒をみようと頑張っている。
新しく産まれた生命に対して、簡単に諦めようとはしない。
その姿は滑稽だが、微笑ましい。
私も娘が生まれたばかりのときは、こんな感じだったんだろうか。
初めて親になるんだからそんなもんか。
首根っこ掴んでごめん、ヘンリー。
結末はどうあれ。
産後に見た私も私だが、
ヘンリーの心情が少し理解出来るような気がした。
妊娠中にうっかり見なくて良かったと、胸を撫で下ろしたのは言うまでもないが、作中の漠然とした恐怖が少しリアリティを持ったのだった。
※全て個人的な感想です