夢想家は勉強ができない
これは誰のことでもない私のことなんですけど。
小さな頃から空想が好きな子供でした。
中学時代。
理科室で、背が高くてノロマな喋り方の先生が黒板で何か書いている頃、私のすぐ左側にある大型の水槽には、ギクリとするほど大きな雷魚が泳いでいた。
なんでこんな馬鹿でかい魚を飼っているんだろう?
たまに場所を移動させられ、一階の渡り廊下に居ることもあったよね、キミ。
今思えば先生が川で釣ってきたのを観察用に入れていたのだろうが、なにも授業の妨げになるような席の近くに置かなくても…
うねるように体をくねらせ、その図体に似つかわしくない四角い空間の中を、行き場もなく行ったり来たりしている。
目には威圧感の光がギラリ。
この狭さに嫌気がさしたのか、単調な授業に飽きたのか、たまにバシャッと尾ひれを打ちつけて暴れ、教室中をどよめかせる。
その水しぶきを見ながら、あぁこのままムクムクと巨大化して暴れ出したりしないだろうか、と想像する。
「ここにわたしは相応しくないのだ。」
アマゾン川を目指して、道中さまざまな仲間に助けられながら目的地にやっと到達する。
でっかいアロワナやピラニアや電気ウナギに襲われ、身体中傷だらけで生きることに絶望する。
己のちっぽけさや弱さを知り、わたしはあの教室という箱の中の生徒たちを見守るのが、自分の使命だったのではないかと振り返る。
水から出られない不幸を呪い、空をゆく渡り鳥に、あんたはいいなと話しかける。
「なにを言っているんだい。鳥だって枝がなければ休むこともできずに、羽が折れるまで飛び続けるだけだ。」
雷魚はじっと鳥を見ては、なにも返す言葉が見つからず、水面にポコポコと気泡を出すのだった。
誰かになりたがっていた自分を省みた。
アマゾン川に生息する初の雷魚として、ここで順応して生きて行こう。
たとえ、適切な水草がなくて子孫を残せなくとも。
そう決心した。
とまあ、こういった具合で授業の席で私はどうにもこうにも意識が飛んだりしてしまう。
当たり前だが、得意科目と不得意科目がはっきり分かれて、それが成績表に表れていたりする。
ただこの空想癖には良いところもあって、とんでもない大きなキャンバスに絵を描きたいなぁと思っていたら、デザインフェスタで3.6m×8mの壁に脚立を登りながら絵を描くことになったり、
映像と音楽とアートを融合させた面白いことをやりたいなぁと思ったら、ジャズをやっている子と知り合えたり、いくつかの素敵な出会いも運んでくれる。ときには海外での個展に踏み切ってみたり。
ゴールが決まれば、計画は練るのは楽しい。
思いつきを風船のように大きく膨らませて、実行することもできる。
夢想する、それを飛ばす。
これが、わたしのいいところなのかもしれない。
何を聞かされているんだろう、とお思いでしょう。
今回は、ことばと広告さんの #みんなで書く部 の企画 #これがわたしのいいところ のお題で書いてみました。