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エノモト先生の鉛筆のさきに

私は絵を描くのが好きだ。

小学校の頃、学期の最後に配られる通信簿には、決まって「図工」の5は膨らんだように胸を張っていて、「体育」の2は縮こまって枠に収まっていた。どうにもこうにも踏切板に歩幅が合わず、跳び箱はいつになっても飛べなかった。

図画工作。いわゆる図工の授業では、誰よりも得意というより夢中になって楽しんでいた。ある日明日は大好きな図工の授業があるっていうのに、体温計は38℃の数字を私に突きつけた。何がなんでも登校したくて、憎ったらしいそれを冷蔵庫に入れては数字を少しでも下げようとごまかそうとした。作戦はうまくいかず、大人しく休むことになるのだけれど。

今思えば、小、中、高の学生時代は美術に関係がある先生に恵まれていた。昼休みにローラーを使った技法を教えてくれたり、アイデアの出し方をスパルタに実践させられたり、キャンバスの100号を張ってくれたりした。どの先生たちも我が道をゆく個性があって、とてもよく話を聞いてくれた。

中でも思い出に強く残っているのが、小学校3、4年生の時出会ったエノモト先生だ。クラスの担任兼、図工の先生だった。肩まである黒髪のおかっぱで、近所のおばちゃんのように気さくにくしゃっと笑った。この人の隣にはすぐ「絵」の匂いが漂っている。特別なスイッチを入れなくても指先からさらさらと線が走る。つかえること無くなめらかに。魚が川の流線を泳ぐように。

図工の授業でマーブリングという技法をやった時には、水の上にカラフルな液を垂らして模様を作る際、いきなり鉛筆でカリカリ頭を掻いて、
「こうすると頭皮の油が作用してうまく模様ができるんだよ。」
と、ガハハと豪快なテクニックをみせていた。そんなところも大好きだった。エノモト先生は130cmの目線に合わせて、物を作り出す面白さや知らない技法を惜しみなく教えてくれる。

ある日、ポスターを描いてみようという授業があった。誰よりも早く完成してしまい待ちぼうけしていたら、県で募集している防火ポスターの公募にチャレンジしないかと提案を持ちかけられた。
昼休みに図工室に先生と2人きり、公募に出すポスターについて話し合った。タバコの不始末からお化けみたいな炎がこちらに飛びかかってくる案を出した私に、背景は黄色だから文字に赤を使いたいなら縁取りをするといいよと教えてくれた。
お化けのポスターは無事に賞をとり、県の会館で表彰されることになった。その時人生で初めて新聞に載ったのだけれど、私の絵にさして興味の無かった母は珍しく、切り取った小さな記事を茶だんすの奥へ大事そうにしまっていた。受賞者へ配られる金ピカのボールペンは繰り出し式で、たいそう大事にケースに入れられ「できる大人が手帳に書くやつ」とういう出で立ちだった。
小学生には似つかわしくなくても、その重さが私には誇らしかった。

いつだったか教室で皆に自習をさせながら、先生は名前の順で1人ずつ生徒を呼んだ。窓際にある先生の机の横に椅子2つ。膝こぞうを付き合わせて向かい合う。手元にはバインダー、白い紙と鉛筆。少しばかり緊張するアサイくんをじっと見つめて、くしゃっと笑う。そうしてハガキサイズの紙に、あどけなさを写しとりはじめた。

私の番だ。
期待で胸が高鳴る。「じゃあ始めようか。」と言ったエノモト先生の紙には、もう何かが生まれていた。まじまじと顔を見られることは、親にも最近されてなかったので気恥ずかしい。それと同時に「なんで会話しながら器用に鉛筆を動かせるのだろう。」と不思議でならなかった。力まずに絵を描く姿勢が、集中すると周りが見えなくなる私にはとても羨ましくもあった。
「リュウくんに似てるねぇ、2人は描きやすいよ。」
リュウくんとはきゅうりが苦手な男の子だ。ちょうど私と同じような肩につかないくらいのサラサラなショートヘアをしていて、さっぱりした醤油顔だ。名前の順がリュウ君のが先なので、そっくりさんはもう紙に写しとられている。話は他にもしたっていうのに、先生の手元ばかり気になってあまり思い出せない。

5分たっただろうか。クラスメイトの声を背中で感じる。小さなひそひそ話、かちゃかちゃ鉛筆を探す音、ふざけ合う声。ぼわんとクリスタルボウルの音のように輪になって心地よく響き渡る。いつしか教室はシャボン玉みたいなドームに包まれた。

そうしているうちに、空白には2つの目を持った自分がすっと現れた。さっきより少し重くなった画用紙を手渡される。擦らないようにそろりと受け取り、「その子」を覗いた。
私はこの頃、写真を撮られることが大嫌いだった。
なんだか母との関係もうまくいかず、自然に笑うことが出来なかった時期だ。でも似顔絵の「その子」はとても好きになれた。先生の筆跡が、影をつけた髪の毛が、なんだか穏やかになびいて見えたからだ。硬い鉛筆の芯は、先生の指先を通じて体温になる。一本いっぽん描かれた線は、愛情となって私に届いた。

今思えば似顔絵を描いてもらったのは小学4年生の終わりの頃のような気がする。もうすぐ担任を外れ、5年生に上がれば新しい先生に変わる。受け持った生徒たちに宛てた、先生なりのさよならの手紙だったのかもしれない。

大人になった今、この感覚をもう一度思い出しては不思議とあの頃より愛情を感じる。そして自分の中にこの温かい思い出が詰まっていると思うと、少しばかり綺麗でいられる気がするのだ。

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