見出し画像

家族に退職を伝えるまで、そして帰省

そもそも30代未婚で退職に至った経緯はこちらの記事を読んでほしいのですが、どうやって家族に伝えるかはかなり悩んだのでそこを今回は書こうかなと思いました。ちょうどお盆帰省も終わり、いろいろ落ち着いたので気持ちの整理も兼ねてまとめます。

私は多分いや、かなり我が強い。特に人生の選択においては「誰かのせいにしたくない」という気持ちが強く出る。自分の人生の責任を取れない自分を許せないし、自分の人生の手綱を誰かに握られたら終わりだと思っている。

私は小さい頃、「誰かの望む自分になれば愛されるのだ」と信じていた。だから、誰かの理想の自分、たとえば親が望む聡明な子供になれるように努力して振る舞っていたし、相応の結果を出していた。
そしたら愛というものが返ってくると信じていた。けれど、ほしいものは得られないものだと知った。

誰かの望むものになろうとなかろうと愛されるわけではないことを悟ったり、分かり合えないことを分かり得ないと思い知ったり、12歳ごろまでに希望と絶望をたくさん味わって家族やそのほかの人に対しても愛を期待することはなくなった。
でも、親に対しては「育ててもらってるから期待から大きく外れたらいけない」とは思っていた。お金をかけてもらっている分の義理みたいなもの。本当はそんなのを子供が背負わなくてもいいと思うし、感じさせないのが親の務めだと思うけど(声を大にして言いたい日本語)

だって子供は何も選べずに生まれてきてしまうから。親は選択できたのだから。親としての責任を背負う覚悟のなさ、将来への見通しの甘さ、愛情の芽吹かなさ…そういったものを子供になすりつける親もいる。だから、親になること自体は人間としての成長だと全然思えない、今でも。

話が逸れてしまったので戻すと、30代になった今でも子供の時に感じていた「親の期待に応えなきゃ」という気持ちは私の中に根深くあったということ。常識も非常識も子供時代の環境や経験から学ぶものが多いということを再認識してしまった。
私の中で我慢に我慢を重ねた理由はたくさんあるけど、最後まで仕事を辞めるか迷ったのは親の理想から外れてしまったそのときにどんな言葉を投げかけられるかが恐ろしかったからだと思う。家族の1人の常識は「真っ当に働いて結婚して幸せになる」だから。その前半をも欠いてしまう存在になることを決めきれなかった。
私さえ我慢すれば、世間体的には東京で働いている自慢の子供ということにできるからそうしたほうがいいのかなという思いは最後まで拭い去れなかった。

だけど心身の限界を超えてしまったこともあり退職することを1人で決断して、最高速度の別れ唄ばりの速さ(法定速度内)で引き継ぎなどをしたのだけど、家族にこのことを伝えたのは最終出社日の前日の夜遅く。1週間ほど前にメモ帳にしたためていた長文をLINEで送りつけた。

引き継ぎ期間が短かったことで多忙を極めている中で家族に否定されたり非難されたりして気持ちを切らしたくなかった。そもそもそれらを受け入れられる状態でもなかったというのも大きい。
どうしてもこの期間は、自分の決断を正しいものと信じて走り抜けたかった。仕事をやりきり、引き継ぎをしっかりまとめて、立つ鳥として美しくありたかった。同僚への迷惑を最小限にしたい、それをせめても恩返しにしたい、人間の有り様として美しく最後を迎えたいというのが私の心を支えていた期間でもあった。

だから、我儘だけどぎりぎりに家族にお知らせすることにした。退職を決めた理由については、note以上のことは伝えていない。今後も詳細を話せるかはわからないというのも添えて。
この決断を分かってもらえなくていいし受け入れてもらえなくてもいいけど、否定しないでほしいという思いをしたためて。だから突然すぎてびっくりしただろうなと思う。身勝手でごめんね。

ただ父にだけは事前に伝えていて、私から伝えるまで黙っていてほしいことはお願いしていた。というのも、退職の意を伝えた3日後に父から別件で連絡が来て、そのときには最終出社日などの取りまとめが終わった後のことだったのだ。事前に父には言っておきたいと思っていたからそのタイミングでえいやと伝えることができた。
「分かりました」っていう返事が来て、その潔いまでの興味のない言葉にこちらが笑ってしまった。ありがとう。

最終出社日、私は2時間くらいしか眠れず朝の4時過ぎには起きた。家族から返信は来ていたけれど、ぶおんで読める範囲を読んでそれ以外は読まずに仕事を納める覚悟でいた。
だけど心配性で気性の荒い姉が体調を崩していたから私からの返信がないことで起こる同居してる家族への軋轢が気がかりで、義理兄にメンタルのフォローしてほしいことを伝えねばという使命感で早朝4時半にその旨をLINEをした。
なんなら兄にはこのとき初めて個別に連絡した。

無事に仕事を納めて、手続きなども一通り終わりお菓子なども配って退勤。「本当にさようならできた」という謎の思いが胸中に満ちていた。
その後、会社の最寄りからご飯のお店の最寄りに移動する途中に家族からのLINEを読んでしまい案外みんなやさしく受け止めてくれて、電車内で泣くことになるという…なかでも兄からの返信は励まされたし涙が出てしまった。

兄はその返信で私が自由に生きてて幸せそうに見えてたけど悩んでたことに安心したという内容があって、私が自由に幸せそうに生きているように映っていたことに打ち震えてしまって。30代未婚として幸福ではあった(もちろん気概の部分もある、でなきゃ30代未婚やってられないが)ので、そうした充足が正しく伝わっていて嬉しく、これからも頑張れそうだなあと漠然と思えた。それすらも泡沫の夢みたいに消えてしまう時もあるけれど。
でも、これからもそう見られるように美しくしなやかに強く生きていきたいなあと勇気づけられた。


最終出社の1週間後くらいに帰省した。どうなるんだろう?と不安な部分もあったけれど、家族はいつも通りに接してくれて私がお願いした通り何も聞かないでくれた。私が話したいことだけ話してそれだけ。いつもと変わらない他愛ない話ばかりで笑顔でいてくれたことがありがたかった。一緒に虎と翼を見て「なんて穏やかな時間なんだろう」と実家にいる時間の中でもこんなに素敵だと思えた瞬間が今まであったかな?と思った。
そして、姪っ子の無邪気さや純真さにとても救われた。猛暑と子供と遊んで疲れ果てていつもより熟睡できた。健康的な夏の1ページになった。

今はと言えば、在職中ずっとあった吐き気はおさまり、食欲も戻ってきた。夏の暑さにやられているけれど体調は回復しつつある。心もすこやかになってきているのを実感しながら帰りの電車に揺られながらradikoを聞き熟睡した。夏の幸福を凝縮した時間。


米津玄師の新曲がらくたを聞きながらやっと筆を取ったnoname

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?