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青春の欠片に終止符を-私とRと青
私の青春のど真ん中にあったバンドからメンバーが脱退することになった。正直、RADWIMPSがここまでの認知度と人気を持ってから初期からいる桑が抜けると思わなくて驚いた。洋次郎さんと出会って「バンドで食っていく」と高校を中退すると決めたミスドでの歩みがここで終わると思わなかった。
そして、智史くんの復帰を待って4人での活動が見られたらその時はまたライブに行こうと思っていたけれど、それが叶うことはないんだと思うと悲しみとともに青春の思い出の1つにまた区切りがついたような気がした。
最近になって、智史くんが病気について研究していて、自分から研究や現状についても発信し始めたことでバンドとしても前向きな発表があるのかな?と期待していた自分がいた。そうでなくても、智史くんが元気に生活しているのを知れただけでも嬉しかった。やどかりでの智史くんのパフォーマンスと笑顔が特に好きで、久しぶりに画面に映ったその笑顔が変わっていないことになんだか安心したんだ。
いつになるかわからないけれどその笑顔の戻る先がRADWIMPSにあるはずと期待していたし、4人が完全体だと思っていた。だけど、それは叶わないという現実をすぐに受け止めるのは難しい。
だからつらつらと今の思いを書き留めておきたい。
カレンダーを見返したら2018年のさいたまスーパーアリーナの公演を最後にRADのライブには行っていない。
新海誠作品の主題歌の「前前前世」と劇伴を担当して世間的にも有名になってどんなライブを見せてくれるのかな?と期待と不安の入り混じった中で行った2018年のライブ。演出はいつもと変わらない点が嬉しいより新しさの追求が少ない点に物足りなさを感じてしまった。ほかのバンドやアイドルのライブにも行っていたからこその印象かもしれないし、私が大人になったからっていうのもあると思う。
人気バンドのライブって変わらないことと変わり続けることが求められいて。でも、ライブでの演出のあまりの変わらなさに物足りなさを感じちゃったんだよね。演出に驚きや新鮮味がなくて、RADのライブを生で初めて見た時の感動だったり、2017年の武道館での熱狂や智史くんの不在を帰りを待つような雰囲気が薄くなったりしていたことの寂しかったのもあるのかもしれない。
このとき以降リリースされた曲をきちんと聞いていないのはバンドサウンドが薄れたのもあると思う。
そして、洋次郎さんの「自分の声に飽きた」という発言とその後のコラボや楽曲提供などを見ていていると、それ以外の部分でも何か変えたい気持ちと変えなくない気持ちがバンド内であったのかな?と勝手ながら思いを馳せた。
元々洋次郎さんの書く歌詞が好きで音楽雑誌でのインタビューを読んで歌詞の真意を探るのをやめられなかった。1番つらかったときにそばにいてくれた曲を作ってくれたかけがえのないバンド。そして、それは同世代の多くの人、私より若い世代にとってもだと思う。それってすごいこと。ただ、私がターゲット層ではなくなったし、4人の若さや初期の楽しさと苦しさを知るなかで生み出される楽曲が好きだったんだろうなと思う。
毎回アルバムが出るまで解散するんじゃないかと噂されていたのに、今ではそんな心配はなくなったもんね。曲がコンスタントにリリースされてテレビでも流れることは喜ぶべきことでもある。新海誠と組んで楽曲制作するってことに、RADとして智史くんの戻ってこられる場所を死守するという強い意志決定と若さの喪失を感じていたから。
今でもつらいときには昔聞いていたRADの曲を聞く。特に繰り返し聞く曲が「夢番地」と「トレモロ」かな。この2曲が入っているアルバムはよく聞いた。それこそ青春のど真ん中にいた。
「アルトコロニーの定理」のバンドとしての成熟した感じも大好きだったし、2011年3月9日発売の「絶体絶命」は時期的にかなり精神的に支えてもらった。あと、「寿限夢」は聞いていると不思議と落ち着いて悲しみが悲しみとして心に落ちてくる感じがしてあの時期はバイトに向かうときいつも聞きながら歩いて悲しみと折り合いをつけていた。
賛否のあった「五月の蝿」も私は嫌いではなくてああいう感情の最果てみたいなものを歌にしてあのときに出すことに意味があったと思っている、贔屓目もあるかもしれないけれど。
これはMVがあってそこに4人のRADが存在してるだけで涙が出そうになったのに、コメントオフにされていて感情が相殺された。あれから10年経ったんだ。驚きだよ。
『トイレのピエタ』主題歌のピクニックも好きな曲。舞台挨拶行ったら隣の子たちがめちゃくちゃにうるさくて白目剥いてたのが懐かしい。あれが智史くんがいた最後の曲らしい。まあ録音はもっと前に終わってたかもだからほかの曲やアルバムももしかしたら音源は智史くんが叩いているのかもしれないけれど。
『トイレのピエタ』は映画としても良かったし、なにより杉咲花ちゃんの演技が素晴らしかった。プールでの映像が今でも印象に残っている。
たしかここでの共演が洋次郎さんとリリーフランキーさんが仲良くなるきっかけになったはず。
そして、バンドの分岐点になる「前前前世」は智史くんが活動休止の翌年にリリースされた。『君の名は』の主題歌として大スクリーンで流れて「もはやRADのMVじゃん」くらいの勢いで映画を見た(おい)
新宿の東宝シネマで見て、終わって外に出て夏の夕日を見たら名残惜しくて喫茶店に寄ってから帰宅した。
これで、智史くんの戻ってくる場所は確実なものになったって感じて「いつでも戻ってこいよ」ってRADの3人からのメッセージに思えて映画見ながら泣いた。
でも、世間的には「RADって3人組だよね」と言われることが増えた時期でもあった。「そうじゃないよ、4人だよ」と悲しい気持ちになりながら説明したこともあったな。
これ以降リリースされた楽曲は今まで書いたほど思い出を語れる曲はないと思う。特に最近の曲は聞けてなくて、新海誠作品の主題歌はなんとなく耳にするくらい。
でも、間違いなく私の青春を支えてくれた音楽を紡いでくれたバンドです。
2人で歩いていくRADWIMPSがどうなっていくのか、智史くんが戻ってくる日が来るのかはわからない。けれど、確実に過去の私を救ってくれた曲をたくさん紡いでくれたバンドで、ライブに行きたいと思わせてくれたバンドで、4人でRADWIMPSだと思っていたよ。
まだ、脱退を完全には受け止められていないけど20年あればそりゃ色々あるよねとこちらも大人だから思うので本当に今までありがとう。10代の私を生かしてくれた曲をかき鳴らしてくれた桑には感謝です。おつかれさま。
これからの4人がそれぞれ幸せな道を選んで、作りたい音楽を続けて笑顔でいてくれたらいいなと思います。
少しだけ我儘を言うのならば、いつか4人揃ったところが見たい。そんな日が来ることを密かに願っている。