ただ眠りたかった。それだけの話
「あなたの胸のしこりはがんですよ」
そう告げられた瞬間、私の頭に浮かんだのは、「これで好きなだけ横になっていられる」ということだった。
当時は寝付きが悪く、中途覚醒も多くて、目覚ましが鳴っても、泥のように眠かった。
目覚めは苦痛でしかなく、毎朝泣きたいような気持ちで1日が始まった。
だからといって、帰宅後、深夜に始まるミーティングに参加してから眠る夫が、朝、眠気をこらえて仕事に行くのを、ベッドから見送るなんて考えられなかったし、夫が働いている時間に、自分だけ昼寝をするなんて、とんでもないことだと思った。
昼寝こそしないけれど、疲れ切ったカラダがテキパキ動くはずもなく、これだけはしなければと自分に課した家事を、家族が帰宅するまでに、休み休み終わらせるのが精一杯だった。
丸一日家に居るのに、あれもできていない。これもできていない。
片づけきれないあれこれで溢れかえった、ざわざわと落ち着かない家の中で、役立たずの自分に、ため息がこぼれる。
ああ、今日も1日無駄に過ごしてしまった。
その思いに内心歯嚙みしていても、家族に見せるのは笑顔。
陰気な顔でお出迎えなんて、そんなの妻として母として最低でしょう。
笑え、笑え、笑え。
こんな毎日が死ぬまで続くと思っていた。
それを一変させたのは病気だった。
病名を告げられたとき
「ああ、そうか」
と思った。
「どうして私が」
とは思わなかった。
理由はシンプルだ。
心が、自分を終わらせる方に向いていたから。
私はよく、人から「見るからに、幸せそうね」といわれていた。
それは当然だった。
頼りがいのある伴侶に守られ、2人の子供に恵まれ、私はいつだって幸せそうに笑っていたから。
けれど一皮むけば、そんな風に幸せな顔で生きることに、私はどうしようもなく疲れていた。
だから「もう終わらせてくれてもいいのに」なんてぼんやり考えていたのだ。
だから病を引き寄せたのは私自身、なるべくしてなった。
それだけのことだった。
幸せな顔でいるために、頑張らなくてもよくなった。
「まだまだ足りない」
「もっとできるはず」
「甘えないで」
そう頭の中で繰り返し響いていた声も聞こえない。
なんて気楽なのだろう。
病気という大義名分を手にした私は、用意してもらったものを食べ、お風呂に入る以外、ベッドから出ることもなくなった。
そのうち出掛けるときに起こしてしまうからと、夫が空いていた娘の部屋で寝られるように整えてくれた。
私は布団をほんの少し持ち上げ、スーツ姿の夫に向かって、「行ってらっしゃい」と言うだけだったのだけれど。
他にも、私のベッドの方がいいものだからと、1階の寝室と3階の娘の部屋のマットレスを入れ替えてくれたり。
夫は、いつだって優しかった。
病気になる前からそうだったし、病気になった後も、それは変わらなかった。
私が気付かないようなところまで気を配って、言葉だけじゃなく、私のために動いてくれる。
だから思っていた。
どうして私は、こんななんだろう。
こんなに大切にしてもらっているのに、生きているのが苦しいなんて。
そう感じる自分は、間違いなくどこかおかしい。
その私が持っているおかしなところが、病気を作ったのだ。
「こんな贅沢ばかりいう役立たず、さっさと消えてしまえばいい」
それは本当に正しいことのように思えた。
正しいことに気付けたことで、気持ちは清々したはずなのに、なぜか涙が零れて止まらなかった。
眠って眠って、目を覚ましたら、少し本を読んで。
そして、また眠る。
きっといろいろなことがあったのだろうと思うのだけれど、思い出せるのは、目覚める度に「しなくてはならないことが何もない」とわかったときに感じた安堵。何にも追われることのない、何も目指さない。ただここに居るだけの私。
そんな日々をどれだけ過ごしたかわからない。
ふと目を覚ますと、カーテンの向こうが、やけに明るい。
カーテンを隔てた向こうに何があるのか、私はまるで吸い寄せられるようにふらふらと立ち上がり、カーテンを引き開けた。
窓いっぱいに広がる青い空。
眩しくて目がくらむ。
暗闇に慣れた目をなだめながら、ぬけるような青空に目を凝らす。
「いい天気」
こんな明るい空を見たのはいつぶりだろう。
締め切っていた窓を、勢いよく開く。
大きく息を吸うと、降り注ぐ光が、少しひんやりした空気と一緒にカラダに流れ込んでくるような気がした。
光に満たされた私の周りにも光は満ちていて、私は自分がとても明るくて気持ちのいい場所にいるのを感じた。
「自分を消し去ってしまいたい」
楔のように深く私を貫いていた想いは、形を失い、風と共にどこへともなく流れ去った。
誰の役に立たなくても、社会に認められなくても、それでも人は生きている。
私も、そのうちの1人だというだけのこと。
「生きてて、何が悪いというのだろう」
「こんなに気持ちいいのに、死にたいなんて馬鹿みたい」
真剣に悩んでいた自分がおかしくて、バカバカしくて、お腹の底から笑いが込み上げてくる。
ただ眠りたかっただけだった。
疲れ果てたカラダを休めたかっただけ。
それだけのこと、たったそれだけのことを自分に許すことができなかった。
「あーあ、カラダもいい加減にしてくれって思うよね」
呆れかえった心の声。でも不思議と責められているようには感じなかった。
幸せでいたいと必死で頑張ったけど、どこまでいっても幸せにはなれなかった。
ところが何もかも放棄して、カラダが求めるままに眠り続けてみたら、幸せは勝手に溢れてきた。
満ち足りたカラダが、幸せを生み出す源だった。
この経験は、私が変わるキッカケになった。
このときの幸せな気分は、(この後知ることになる検査結果が悪く)長くは続かなかったけれど、それでもこの日から、幸せになろうとするのではなく、幸せを感じたいと思うようになった。
幸せを感じるために、私はせっせとカラダに問いかける。
「どうして欲しい?」
「いまどんな気分?」
アタマの欲求を叶えること中心の生活から、カラダ中心に生きる方へと、私は舵を切ったのだった。
そして生きたいと願いながらカラダと向き合う日々を重ねるうちに、いつしか私の心も変わっていった。
私は、いつもあんなに責め立てていた自分を、少しずつ許せるようになっていったのだった。
いまの私を、あの頃の私が見たら、何というだろう。
「あなたと私は違うから」
そういって、決して変わることを認めなかったと思う。
真面目で頑なで、必死だったあの頃の私。
誰の言葉も響かないほど、いっぱいいっぱいだった私。
「辛かったね」
昔の自分に向かって、そっとつぶやくと、鼻の奥がツンとする。
そして眠って眠って眠りきったときに、カラダを満たしてくれたあの光が、また小さく私の胸に広がるのを感じるのだった。
“許す”の語源が“緩ます”だと知り、そういうことだったのかと思った。
病気を作るくらいにカチコチに固まったカラダ、緩み方を忘れてしまったカラダのご機嫌を、必死になってとっていたことでカラダは緩み、緩んだカラダが、私の頑なな心も緩め、それが自分を許す気持ちに変化していったのではないかと思ったのだ。
いまでも時折、どうしようもなく許せない気持ちが湧き上がってくることがある。
でも、そんな時には、さっさと布団をかぶって寝てしまうのだ。
目覚めたときには、身も心もすっかり緩んで、また大抵のことは許せる私になっているはずだから。