人生の選択と矜持
仮面浪人という選択
現在私は大学三年生であるが、本来ならば四年生の年齢である。
周囲には浪人したのかとよく思われるが、浪人ではなく、休学である。
かと言って浪人していないと言えば嘘になる。
正確には、大学一年生(一回生)の時に休学して、仮面浪人をしたのだ。
私の大学では、一年次に休学をすると、普通の一年生と殆ど同じ金額がかかる。
今ではお金を稼ぐことの大変さが分かるから、全額出してくれた母には大きく感謝したい。
しかし、私はその絶好の機会をドブに捨ててしまったのである。
私は多額の費用がかかった仮面浪人で、失敗した。
そのことについて書きたい。
仮面浪人時代
遡ること高校三年生の12月。
私は理系で、すでに第一志望校のA判定はもらっていた。
幼い頃からニュートリノなどの素粒子に興味があり、理工学部を志望していた。
しかし、いざ受験シーズンになって、文理の進路選択に疑問が生じた。
この時期になって迷うのは愚の骨頂であるが、理系の先生やジャーナリストになりたいわけでもなく、研究者になって研究漬けの毎日を送りたいわけでもない。
受験のストレスにより、隣の芝生が青く、逃げの選択をしたかったのかもしれない。
それでもなお、当時の私には文転への強い願望があった。
それから、英語と数学だけで受けられる大学の文系学部を探し、残り二ヶ月の猛勉強の末、当時の第一志望校の大学(現在通っている大学)に何とか合格した。
そこで、欲が出てしまった。
色々な人に相談した上で、受かった学校を休学して浪人する選択をさせてもらえることになった。
入試直前時は特に家庭不和のため集中して勉強が出来なかっただろうから、という理由で母はお金を出してくれた。
受験期間と、父との別居の開始が重なったのだ。
どれだけのお金が仮面浪人に動くかを知っているから、4月から毎日朝から晩まで予備校に籠り、友人も作らずに必死に勉強した。
5月に受けた模擬試験では第一志望校はE判定で落胆したが、めげずに努力しつづけ10月の模擬試験ではB判定をもらうことができた。
それからも私は孤独に頑張った。
孤独によりイマジナリーフレンド(空想上の友人)ができ、家にいるときはよく一人で会話しているところを母に聞かれ、不審がられたりもした(今はもういない)。
予備校にも有力視してもらっていたが、12月頃、違和感を感じた。
勉強したいのに、机に向かえない。
ただでさえ逆転合格を狙っているのに、勉強しなければ落ちてしまう。
私は机に向かえないまま、浪人に失敗し、クズになってしまうのか、と絶望した。
仮面浪人時代は、とにかく追い詰められて視野が狭くなっていたから、浪人失敗=死くらいに思っていた。
高校生のときにお世話になっていた先生に連絡をし、行く場所はここしかない、と藁にもすがる思いで高校に行った。
みっともなく泣きながら先生と話し、とても救われた言葉がある。
「これまでよくやった。正々堂々と行って、落ちてきなさい。」
この言葉で、最低限の自己肯定感が復活した。こんな自分を、認めてくれる人がいるというのが、救いになった。
当時の先生にはとても感謝している。
しかしそこからもだらしのない寝たきり生活は続き、入試当日、受けに行っても、問題用紙をめくると白と黒の模様にしか見えなくなってしまった。
結果、全落ちした。
浪人は、成功ありきのもの。それにもかかわらず私は、正面から向き合うこともできなくなってしまった。
やっとB判定を勝ち取ったのに、それまでの努力を無駄にしてしまった。
もし浪人に失敗したら、高校時代の友人がいなくなり、大学でも友人は作れない、という謎の強迫観念もあった。
本当に、『人生終わった』と思い、ただそのことしか頭になかった。
誰にも理解されない、クズ人間になった。
成功体験への転換
今まで頑張ってきた一年間は何だったのだ、とまた泣きながらお世話になっていた高校の先生に電話したのをよく憶えている。
そこで先生に言われて印象に残っているのは、
「それも全部含めて亜麻音。」
そう言ってくれた当時の先生には、本当に感謝している。
私は中学入試も、高校入試も、大学入試も失敗している...と当時かなりしんどい気持ちだったが、今思えばそんなことはなかった。
今の大学には、二ヶ月の必死の受験勉強で合格した。
高校入試も、第二志望のところになってしまったが、首席で入学している。
受験において、『必死に頑張る』ことを知っている。一人で頑張りすぎたからこそ落ちたのだと思っている。
また、失敗続きの人生とはいえ、行く先々で本当に良い方達と巡り会っている。
そのお陰で今の私がいる。
浪人時代の勉強も、今となっては決して無駄ではないと自負している。
理系の村では得られない学びを文転して得られた。特に文系の本格的な現代文の読解では、世界に対して視野が広がった。
勉強内容も、大学での勉強面で大きなアドバンテージとなっている。
そして、孤独になると自分はどうなるのかを知ることができた。
当時はコロナ禍で、高校の友人に会うことができなかったから、せめて予備校に一人でも友人を持つべきであったと今では思う。
最後に何より、『休学して仮面浪人して失敗し、復学する』という稀有な体験ができた。これは中々他人には理解のしえない体験であろう。
今の私にできることは、浪人の一年間を無駄にしないことである。
浪人時代に学んだ思考回路を失わないために、また、学ぶことの面白さを伝えるために家庭教師をしている。
未だに当時のことは夢に出てくるが、そのような耐え難い孤独を経験したからこそ、多少のことでは折れないメンタルを手に入れた。
失敗しても、何だかんだどうにか前を向いて歩けるようになるということも学んだ。
さらに、私は一人では生きていけないのだということを知り、より一層周りの人達を大切にするようになった。
予備校の先生方、高校の先生、そして予備校代と休学代、大学四年分の学費を一人で全額出してくれている母には大きく感謝したい。
「ありがとうございます」という言葉は言うだけだと容易いから、周囲の人の助けになることをどんどん行って、伝播させていく人生にしたい(これも高校の先生からの学びである)。
私の仮面浪人は、失敗ではない。大成功だ。
今後どれだけ大きな選択を迫られても、『何をやっても私なら成功体験にできる』という矜持をもって行っていきたい。