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イエスマンの効用
夏休みが始まるとき、このような記事を上げた。
この記事では、映画『イエスマン』の主人公らしく、何事にも快諾し、積極的にチャレンジしながら生きてみようといった内容を綴っている。
膝を痛めていたため、この夏休みは基本的に家に籠りっぱなしであった。
そのような中、映画ほどではないが、私なりにイエスマンになれたと思う。
そうして得られたものを列挙したい。
第一に、noteに積極的になったことにより発見があった。
これまで、私は「天然ちゃん」と言われることが多かった。
その理由が、noteを始めて分かったように思う。
自分の思考に、語彙力がついてきていなかったのだ。
これは圧倒的に、読書不足であったり、コミュニケーションを適当にやってきたことによって、『相手が求めている答え』を推測する力が足りなかったのだと考える。
それからというもの、読書時間というのを日常に取り入れるようになった。また、仮面浪人期の現代文のテキストを読み返し、読解力の再興を図っている。
第二に、世界史の勉強を始めたことにある。
現在大学では経済学部に所属しているのだが、高校時代理系であったこととコロナ禍で学校にあまり通えなかったこともあり、日本史と世界史の知識が殆ど中学生のまま止まっていた(未だに当時の高校のカリキュラムには疑念を抱いている)。
経済学の授業は、世界史の知識があるのが前提となる。
その知識が必要になる度に調べる作業が必要だった訳だが、断片的な知識より、人類の起源から現代までの一連の流れを知りたいという欲が出てきた。
また、今後経済学の学士を名乗る上で、世界史の知識がないというのは学問を果たせていない感じがあり、卒業までには簡易的にでも現代まで勉強したいと思っている。
また、世界史の知識がないと、今習っているクラシック音楽の理解を深めるのにも不利になってくるのを最近更に痛感するようになった。
以上の、経済学部生であるというのと、クラシック音楽を習っているという点から、日本史ではなくまずは世界史を、と思い勉強している。
受験科目として使う人たちは覚えることが大変多いだろうと推察するため、決して「世界史を勉強しました」と声を大にして言えないが、自分の中で知識という宝を持っておきたいという願望があるのである。
勉強するにつれて、自分が世界の歴史の系譜のどこに位置付けられているかを認識し、生きる意義のようなものを実感するため、日々楽しく学んでいる。
第三に、映画を観まくったことにより、自分の趣味が広がり、交友関係にもメリットが生じたことだ。
この夏休み、家の中でリフレッシュしたいと、気がつけば13本も映画を観ていた。
名作と言われているものを教養だからと片っ端から観ていたのだが、映画には名言が沢山含まれているというのに気づき、人生における大きなエッセンスになると感じた。
そして、大学の友人と会った際に、彼女にこのnoteを紹介してみたところ、彼女も『イエスマン』を観たことがあるということが分かり、更に彼女がかなりの映画マニアであるというのが判明したため、私がこの夏休みに観た映画の殆どについて語り合えたのである。
イエスマンらしくいるのを意識してみることによって、映画の通り、あらゆることが自分のためになったり趣味になったりするだけでなく、実際に交友関係まで進展したのには驚きである。
そして、この件で気づいたのだが、『映画を沢山観ること』はイエスマンを意識した後に起こした行動だが、『noteを書くこと』はその前に勧められて素直に始めていたことである。
今思えば、私は本来イエスマン気質なのかもしれない。
これも、今回の『イエスマンチャレンジ』で得た発見である。