勇気を出すこと
勉強でも、家事でも、家の外に出ることも、『心の余裕』がないと不可能になると考える。
最近の私は、その『心の余裕』がない状態には、『恐怖心』があることが多い。
『恐怖心』を乗り越える唯一の方法は、勇気なのではないかとこの頃考えている。
それが中々難しいことなのだが、先日ふと思いついた。
勇気→勇敢→グリフィンドール→『ハリー・ポッター』
つまり、『ハリー・ポッター』の映画を観れば勇気を得られるのでは⁈ということである。
『ハリー・ポッター』シリーズは小中学生の頃小説と映画を何周もし、当時はかなりのマニアであったと自覚している(今はうろ覚えである)。
恥ずかしいことではあるが、当時は魔法学校が実在すると信じており、中学生ながら真剣に調べ、卒業したらイギリスにある(らしい)魔法学校に行く決心で必死に英語を勉強していた。恐らくこれが私にとっての厨二病である。
話を戻して、『ハリー・ポッター』シリーズは総じて勇気と友情の話ではないかと考察する。ネタバレは極力伏せたいが、その二つを表すために、魔法が媒体となっていると考える。
よく、
「死ぬな。死ぬ気で闘え。」
という言葉を耳にする。しかし、闘う力がもはやないときがあるから困るのである。
先日そのようなタイミングがあり、『勇気→ハリー・ポッターだ!』というのを思いついて久々に映画を観て、やはり私も主人公達のようにつよつよメンタルで行かなくては、と思った。
恐怖でめげそうになったら、5分だけでも、アプリ等で映画を観てみることにした。
しかし、私は『死の秘宝』(最終章)の主人公達の年齢を超えてしまっている。年下主人公達のある種のフットワークの軽さというか、ヒーロー物語を織りなす上で必要となってくる素質を私は果たしてもっているのだろうか...と考えさせられた。
そのようなものを持ち合わせている人はごく一部なのは自覚しているが、そこで他人と比較して安堵しているようでは駄目だと考えている。
他人と比較せず、叶わなくてもなりたい自分を追い求め続けるのが今の私の人生のモットーである。
だから今後は、もっと勇敢で逞しく生きられるようにマインドコントロールを頑張りたい。
一日で出来ることは限られているのだから、夜寝る前、クタクタな状態で本を読むのを楽しみに、毎日動き続けよう。
また、先述した通り、このシリーズは友情もメインテーマであると推測する。
それについては、前回出したこちらの記事のまま、気持ちは変わっていない。
『ハリー・ポッター』シリーズは決して楽しいだけの物語ではないが、本人達がそれらを若くして乗り越えたのは、各々が助け合いつつも基本的には自分の足で立っていたからである。
それを倣って、勇気と感謝の二本立てで、逞しく生きていきたい。
それにしても、イギリス英語格好良い...。