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自分が見えると人生のテーマが見つかる

20年以上、自分探しや幸せ探しをしてきた。
その経過で、何度も何度も自分を見つめ、思いや気持ちを掘り下げて言葉にしてきた。

そして、定めた私の人生のテーマは
『地球遊園地のミステリーツアー』

自分が生きている地球はさまざまなアトラクションがある遊園地。そして、そこで何が起こるかわからない人生というミステリーツアーをおもしろがり、起こるを攻略して楽しむ。

これを一言にまとめて
『地球遊園地のミステリーツアー』って名付けた。

どうして、人生のテーマをこれにしたのかと言うと、私は、人生を通して、人間というもの、自分というものを満喫したかったから、ということに気づいたから。

このことに気づいた経過はこうだ。

とある講座で、
「自分が憧れる人から、自分がどうありたいのかを掘り下げてみましょう」
と課題が出た。

私が憧れる人、尊敬の気持ちを自然と持ってしまう人を思い返して何人かピックアップした。その人たちのどこに私が憧れているのかを細かく突き詰めてみた。
そうして出てきたのは

〇どんな状況でも自分の楽しみを見つけている
〇ピンチや逆境にぶつかると、生き生きしだす

この2点だった。
自分に起きることを悲観したり、くよくよしたりするんじゃなくて、今の自分の状態で楽しめることを見つけてる。見方や受け取り方で楽しもうとする方向へ持っていってる。
そういうところに憧れていることに気づいたことで、私は自分に起こることを受動的に対応してきたんだとわかった。そして、こういう図式が成り立っていたことに気づいた。

受動的に対応してきた
=イヤイヤしてる・仕方なく動いている
=楽しくない

振り返ると、心から生き生きと人生を楽しんでいた時期は能動的に考えて動いていた。

憧れる存在、満たされた状態にいたときの自分が腑に落ちたとき、子どものころから私は周りの理不尽な言動に振り回され、損な役回りばかり回ってくると自分の状況を悲観してきたことに思い当たった
思い当たってすぐは、それは私視点の一方的な見方で思い込みだったのかもな、と考えた程度だったけど、もしかしたら、理不尽な言動に振り回されることも、損な役回りばかり回ってくることも、私は楽しみたかったんじゃないかと感じた。

そして、そう思ったら、霧や靄が晴れたように爽快な震えがきた。

そう!私は嬉しくもない状況も楽しみたかった。

生きている上で、いろんな人と付き合えば自分にとっての理不尽はあって不思議ではないし、何でもうまくいってイヤなことが全くなさすぎる人生は面白くない。

もちろん、この考えは私の考えであって、他の人には他のひとの考えがあるだろう。
でも、こういう考えを持っている私だからこそ、

\おもしろい人生を生きるためにネガティブな状況も楽しみたい/

と思い、自分の人生のテーマにした?

『地球遊園地のミステリーツアー』

今、47歳。
残りの人生は思いっきり満喫して生きていく!!

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