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結婚するとき覚悟を決めた

【夫婦関係、夫婦問題】シリーズ第2弾

シリーズ第1段の『理想の夫を創るのは妻』で、

そこで、私はどんなに面倒くさくても、
夫に家事分担について
口を酸っぱくして言ってきたことを書きました。


今回は、

どうして諦めることなく夫に働きかけ続けたのか


について。


最初に結論を言います。


なんで、私が面倒くさくても、
何回も何回も、何年にもわたって
夫に家事分担について言ってきたのか。


それは、

①夫を選んだのは私
②夫と一緒に家族を創っていく


この2つを結婚した時に覚悟して、
家事育児という家のことを
一人で抱えるのは止めようって決めたから。


ん?って思いました?


②はともかく①はどういうこと?
って思った人いますかね…


お話ししますね。


①夫を選んだのは私、なんだから
不平不満を周りにいうんじゃなく、
自分で関係を構築していこうって思ったんです。

夫、
紙切れ1枚で結婚したり離婚したりできるとはいえ、
家族になったんです。

そんな簡単に縁を切る相手と結婚なんてしない。
だからこそ、不満が出てきても、
この人を選んだのは私なんだっていう責任をもって、
家族を創っていこうって決めたんです。

②につながりました。

こんなふうな考えを私が持つようになったのは
両親の離婚が原因でしょう。


話がズレるように見えるかもしれないけど、
いったん親の離婚話をします。

子どものころは、
親の離婚は父親の金銭問題が原因だって
思ってきました。
社会人になって、それは離婚のキッカケであって、
根本的な原因じゃないって
考えるようになったんです。


父親とは会ってないから話はできないけど、
私の子どものころからの母の言動を振り返って

「お父さんは家の居心地が悪かったんだろうなあ」
「お母さんとお父さんは心が通ってなかったのかもな」
「お母さんとお父さんは意思疎通できてなくて、
 それぞれの不満がそれぞれの中で
 蓄積していってって感じやったんかもな」

そう考えるようになったんですね。

私が産まれたとき、
父がつけたい名前があったらしいけど
母は気に入らなくて一蹴して
自分がつけたい名前を付けた、とか

父方の祖母が家に来た時、
男に布団を上げ下げさせるなんてっていって
祖母が動いた結果、
布団の上げ下げをするようになっていた父が
動かなくなって身重の母が動かざるを
得なくなった、とか。

聞いた話では、他にもいろいろあった。


でも、どれも意思疎通ができて、
2人で家族を創っていくんだっていう
覚悟があったら、溜め込まずにその都度
解消できて心は離れていかなかったと思う。


離婚のキッカケは金銭問題でしょ、って?


母は昭和20年代生まれだけど、
市役所に正職員で勤めてた。
結婚しても出産しても続けてた。

父の借金もギャンブル癖じゃなくて
知人の借金の保証人になってできたもの。


離婚しても母が父の借金を返し続けてたらしいから、
離婚するメリットって食い扶持が一人減るってだけ。

父は売り上げの少ない自営業者だったから、
母曰く
「収入がないだけなら良いけど、
 借金まで作ってきたらアカンわ」
ってことで離婚に至ったみたいだけど
結局、借金を母が肩代わりしたんだから、
離婚してもしなくても大きく変わらない気がする。

変わるのは、
養いたくない人、一緒にいたいと思えない人と
一緒にいなくて済む。


これだよね。
だから、離婚の原因はお金じゃないって
私は思ったわけです。


両親の話になっちゃったけど、
こういう経緯があって
私は結婚したら家族を創っていこうって
思っていた。

結婚しただけで幸せになれるわけじゃないって
捉えていたんでしょうね。

結婚しても、幸せな家族でいたいなら
そのための努力をしないと
って。


だから、家事を分担して
家のことを協力し合う夫婦になる努力をした。


あなたはどんな家族でいたい?
そのために、あなたは何をする?

幸せな家庭を作るのは誰でもない。
自分自身なんです。
私はそう思っている。

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