雑談が苦手で良かったかもしれないこと
少し前に、この記事に『いいね!』とコメントをいただいたことをキッカケに、久しぶりに自分で読み返した。
うん、雑談が下手。
そう思っていた。
いや、今でもそうだ。
たいていの雑談は、記事で書いたように聞き役に徹するか、しれっとその場から去ることで、自分がネガティブな気持ちを抱えることはなくなっている。
以前の記事で書いたのは、『雑談が下手、いや興味のない話や興味の持てない人から逃げることが下手だった』ということだ。
で、今回書くのは『雑談が苦手で良かったこと』。
\愚痴を聞かされること、
相談を持ちかけられることが少ない/
言葉の意味をインターネット上にある辞書で調べてみました。
いくつかテーマを決めないで、気軽に話すことを『雑談』というようですね。
じゃあ、私は雑談下手じゃない(笑)
自覚はないけど、
『人見知りしない人』、『しゃべりやすい人』
っていう評価をもらっているから。
まあ、周りの人からはそう見えるらしいけど、私としては話しかける人は厳選してる。
厳選の条件は、あくまで直感。
私がしゃべりかけやすいと思った人に話しかける。
そして、私にとって、いわゆる雑談ができる相手は、いったん目的があって出会ったり、共通の興味がある話題があったりして、無意識にテーマがある会話をして、ある程度親しくなった人なんだ。
だから、ママ友と会話できない(笑)
共通の話題って子どものことになるし、私、それほど知っていない人の子どもにそれほど興味はないみたいなんです、私。
「みたい」って書いたのは、興味を持っているつもりなのに、話を聞いてると興味が薄れてきて、自分ごとのようで自分じゃない感覚が少しあるから他人事みたいな表現になりました。
話を戻して。
親戚や友人、仕事仲間の子どもには興味持てるんだけど、知人レベルの人の子だと上っ面の話すらできない。
だから、一方的によく話してくれる人なら助かる。
聞き役に回れるし、大して聞く気もない(笑)質問をはさんだり、時には自分のことを話したりもできる。
でも、家族のこと、習い事のことを延々と聞かされたり、うちのことを聞かれるたりすると、途端に私は困る。
だから何?ってなる。
たぶん表情や態度にも出てる。
イヤそうな顔はしてないつもりだけど、全く興味なさそうに見えると思う。
だって乗って返事しないから。
作った笑顔を維持して、たまに目を見開いて驚いた顔をして、そして出てくる言葉は
「へえ、そうなんだー」
「ふーん、そんなこと言われるんだ」
っていう感じだから。
いや、興味ないからさ。
(あ、言い切れた・笑)
大して知らない人の、その周りのことに対する話を聞かされても、イメージができないんだよね。
だから、ほぼ棒読み返事(笑)
おかげで、愚痴を言ってくるのは親しくなった人だけ。
相談してくる人は、その中でも一握り。
20代、30代のころは、相談される人のことをうらやましく思ったことがある。
愚痴を言い合える同僚たちの中に入りたいと思ったこともある。
頑張って入っていったこともある。
そのために雑談を頑張ったこともある。
でも、いつも気持ちが疲れていた。
家に帰るとぐったりしてた。
今は。
相談してくれなくていい。
愚痴をしょっちゅう言う人と付き合いたくない。
そう思っているし、実行できている。
これは雑談が苦手だからできてるんじゃないかと、私は思ってる。
そして。
そのおかげで、人間関係のストレスは激減してる。
雑談が苦手。それでいい。それでよかった。
そう思えるようになってからは、よりいっそう気楽に生きられている。