また、自分以外の何者かになろうとする癖
1️⃣40歳、子持ち、主婦、パート勤務
2️⃣40歳、子持ち、栄養士、会社員務め
どうも、後者の響きに自分の体が反応する。
「自分の道を持っている」
そこに羨ましさと憧れがあるのだ。
今の自分には自信がない。
ん?
なぜだろう。
何か、資格を持っていないと、自信て持てないのかなぁ。
何も持ってなくて、ただ生きてるだけじゃ、価値ないのかなぁ?
自分には思い込みがある。
「何か資格を持ったり、ちゃんと続けられる仕事をしていないと、お母さんに認められない」
そう、要は、お母さんに言われてきたことが根強く思い込みになり、自分に呪いをかけているのだ。
おかあさんのこと、大好きなのになぁ。
お母さんは、なんでいつも、「何かやったら?資格でも取ったら?」って言うんだろう。
姉は看護師でシングルマザー。
資格があって本当に良かったといっているし、仕事も大変な時もあるけどやりがいがあって楽しそう。
お給料も結構良さそうだし。
よく子供ひとり育て上げたよなぁって、感心する。
だから、私も欲しいなぁって漠然と思ってしまう。
けど、何が欲しいの?
安心?
資格なら、何でもいいの?
自分が欠けていると思い込んでいるところを埋めるための何かなら、もういらない。
それを持ってれば、認められる
それを持っていれば、安心する
それは、私が本当に欲しいものではないことは、私が一番よくわかっている
何もしていない=仕事していない
この概念も、なんなんだ。
仕事してなくても、家事、育児は立派な仕事だと思う。
仕事したいって思うさ。
人と繋がりたいって、思うさ。
今、こう思っている自分も、
仕事してない自分も、
罪悪感感じてしまう自分も、
丸ごと認めてあげたい。
私が欲しいのは、何かを持っていることの安心感じゃなくて、
何も持っていなくてもじぶんの中に感じることのできる絶対的なHOME。
これまでの物質的な時代は、目にみえるもので判断してきた。
そこに、価値を見出してきた。
けど、手に入れてみても、心から満足するどころか、地獄だった。
どうしても、40年その思考で生きてきたから、自動運転で体が動きそうになる。
この前も、いきなりこのスイッチが発動して保育士の資格をとろうと、通信講座に申し込んだ。
中身を見て返品した始末。
頑張らなきゃならないのは、何かを付け足すことじゃない。
今の私は、そういう思考を引き算して手放すこと。
何をやりたいか見えてくるのは、それからだ。