せめてもの慰め【ひなた短編文学賞応募作品】
恋人が殺された。
通り魔による無差別殺人だった。
大学で出会い、社会人になってからも順調に関係を育み、そろそろ結婚の話もしないとな、と考えていた頃だった。
犯人は、駅で僕を待っていた恋人を包丁で刺し、その後も五人に重軽傷を負わせ、その場で自殺した。両親にDVを受け、学校でもいじめに遭い、孤独に育ってきたらしい。自宅で見つかったノートからは、「この世界を否定してやる」と、犯行声明ともとれる内容が書きなぐってあったそうだ。
でも、だからといって、他人の命を奪うなんて、許されない。
僕は恋人を愛していたし、恋人は僕を愛していた。愛情に恵まれなかったのだとしても、逆恨みで誰かの愛情を引き裂いていいわけがない。
……せめて生きていれば、恋人を殺された怒りも恨みもぶつけられたのに。償いもせずに、復讐もさせてもらえずに勝手に死なれて、僕は無力感と、やり場もなく身の内を焦がす炎に苛まれた。
そんな折、子猫を拾った。
アパート1階の僕の部屋の前に、生まれたての三毛猫が一匹、うずくまっていた。親猫も側におらず、かなり衰弱していた。
その猫を見たとき、不思議なことに僕は、一瞬で確信していた。
この子は、彼女の生まれ変わりなんだと。
タイミングもぴったりだし、雌だし、僕の元を目指して来たとしか思えないし、そして何より、……彼女に、目が、そっくりだった。
すぐに動物病院に連れて行き、何とか事なきを得た。
僕はすぐに、子猫を飼うために必要な道具を揃えた。僕も恋人も猫は好きだったが、実際に飼ったことはなかったから、はじめは右も左もわからず、幾度も試行錯誤を繰り返し、必死で育て始めた。
事件以降何もできずにいた僕に、生きる理由ができた。
彼女から名前をとって、アリサと名付けた。
家族や友人にはだいぶ気味悪がられたが、僕は意に介さなかったし、最終的には本人がそれでいいならと遠巻きに見守る方向に決めたらしい。それでよかったし、ありがたかった。
周囲からは、半ば狂気じみて見えていたのかもしれない。
でも、僕は信じていた。信じ込んでいた。
あの事件によって永遠に失われてしまった機会を、神様が与えてくれたのだと。
僕が幸せになることが。
このアリサを、幸せに育ててやることが。
それが、僕自身の道なのだと。
せめてもの慰めになるとともに、最高の復讐にもなるのだと。
そして、十五年が経過した。
アリサは、白髪の出てきた僕の腕の中で、寿命を迎えようとしていた。
胸の傷が癒えたわけではない。
もっと幸せな未来があるはずだったとも思う。
だけど、僕の心はずいぶんと穏やかになっていた。
この子へ愛情を注ぎ、愛情を返してもらったがゆえに、手に入れることができた安らぎだった。
「アリサ」
僕は大切なパートナーに向かって最後の言葉をかけた。
「ありがとう、……償ってくれて」
出会ったときには弱々しく怯えた光を放っていた目が、満足そうに閉じたように見えた。
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