
月影山開発反対運動【坊っちゃん文学賞応募作品】
一
「何を考えているのよ、月影山の木を伐るなんて」
またか。
ため息がこぼれそうになるのを悟られないように、説明を続ける。
「ですからね、我々が伐るわけではありませんので」
「でも、あなたたちお役所が許可を出してるんでしょう。止めなさいよ」
「いやいや、正規の開発の手続きを経てますので……」
月影山は、県内で最も人口が少ない薄明村の中でも、山間を分け入った先、奥まったどん詰まりにある集落で信仰されている、やや小さな山だ。正確には、その中腹に鎮座する月影神社と合わせて信仰されており、麓からなだらかに社殿へと伸びる参道以外には人は誰も分け入らない、禁足地のように扱われてきた。
そんな月影山の南側斜面、こんもりと茂った広葉樹の森林の一部を伐採し、ソーラーパネルを並べるという計画が持ち上がったのだ。
「正規も何も、そもそも許可なんて出していいわけないでしょう。あの山は神聖な場所なのよ。簡単に手を入れていいところじゃないの」
「そう言われましても……」
この開発計画が動き始めてからというもの、薄明村役場の開発管理課には毎日のように、様々な世代や恰好の反対者が、代わる代わる苦情を申し立てに来ている。その対応をするのが、こうした問題案件を選任で処理するものと一任されている、正確には押し付けられている、『特別開発案件担当』――つまり私の役回りだ。
「とにかくね、もっときちんとあの霊山の偉大さ崇高さをね、考えることですよ」
本日の「お客様」は、少々お化粧の臭いがきついご婦人。こうした方々は、いくら懇切丁寧に説明したところで、初めから納得するつもりがないので始末が悪い。
「きっと、このまま強引に開発を行うような罰当たりなことをすれば、何か悪いことが……祟りが起きますよ」
「……」
そういう脅しはやめていただきたい。
残念ながら、事業者は当然ながら地権者の同意を得て話を進めているし、近隣地域に住んでいる人々のために数回の説明会だって開催している。森を切り開くと言っても麓付近の一部だし、安全性にもよく配慮するよう重ね重ね忠告している。こういう荒れそうな話はこちらも特に注意して進めているので、現状、差し止めをするような問題は一切ないのである。山を大切に思う気持ちはわかるが、正直、公務員としてはいかんともし難い。
とはいえ、これだけ連日訴えられては、何もしないという訳にもいかない。私はため息をぐっとこらえて、言葉を絞り出した。
「では、私のほうから開発事業者にもう一度、きちんと対話や説明を行うよう、話をしておきますので……」
二
「……ということがありまして」
口だけでなく、ちゃんと現地に赴いてまで開発事業者に話を伝えに来た私を、誰か誉めてほしい。
黄昏時、月影山の麓には、すでに資材を積んだトラック数台が夕陽に照らされていた。
「そう言われましてもね、うちのほうではもう、着々と準備は整ってましてね。もうどんどん着手しようかと思っていたところなんですがね」
以前手渡された『清浄建設株式会社 代表取締役 本山珠美』とスタイリッシュな明朝体で書かれた名刺から顔を上げると、浅黒い肌にいかつい髪型、海外ブランドのダブルのスーツと派手なネクタイ、宝石がゴテゴテの指輪に身を固めた、貫禄ある壮年男性の姿があった。
「しかし、本山社長。こちらには、ひっきりなしに苦情が寄せられておりまして――」
「うちにはまるで来てませんよ。……この業界は、談合だとか癒着だとか、何かと疑われることも多いですから、我が社は何よりも信用第一でやらせてもらっていますよ。この通り、普段の容姿から気を遣ったりしながら、ね」
……逆にかなり胡散臭くなっていると感じるのは、私がひねくれ過ぎなのだろうか。
「とは言っても、直接は言いにくいってことも……」
「そういうのはもう、地域にとってもメリットがあることなんだって、そちらで誤解を解いていってくださいよ、紺野さん。そのためにも、機密資料を渡してご説明もしたんですから」
「いやいや、そういうわけにはいかないんです。原則は当事者同士でお話しいただくことなので……」
「ダメなんですか?」
「おっしゃりたいことはわかります、わかりますけど、ただ公務員の立場では、できることが限られているんです」
「ええ、じゃあ、何のためにあなたはいるんですか」
ああ、またこのパターンか。
住民同士、あるいは住民と事業者とでトラブルがあれば、双方から無理難題を押し付けられる。でも立場上、どちらかに肩入れをするわけにはいかない。結果、双方から理解を得られず「お役所仕事」だなんだと揶揄される。まったく、イヤな役回りだ。
そのとき。
「――!」
けたたましい音をたてて、私と本山社長の話していたすぐ脇のトラックの荷台から、資材が崩れ落ちた。
「うわ、なんだ。厳重に固定していたのに……傷がついたら大ごとだぞ」
慌てる本山社長。その横で私は、本格的に面倒なことになったのを察知した。
「本山社長。こりゃ、思った以上に冷静じゃないですよ、住民の皆さん」
近くには誰の姿もなかったのにもかかわらず、資材を縛っていた紐には、鋭利にすっぱりと切られたような跡がある。
「配慮がね、まだ全然、足りないんですよ。だって、この地は――人間様のものだけじゃないんですから」
ひゅう、と、逢魔が刻の冷たい風が吹き抜けた。
「ちょうどいい、今ここで、直接ご説明をお願いしますよ、本山さん。……ほら、皆さん、集まってこられましたから」
私は内心うんざりしながら、鬱蒼と茂った森を指し示す。木立の隙間、奥が見通せないくらいに深まった夕闇に、小さな光る点がぽつぽつと灯っている。
「きちんと、本来の住民たちに、お話を」
光る丸い点――爛々とこちらを睨みつける『眼』の数は、さらに増えていく一方だ。荒い息遣い、いや、唸り声も聞こえてくる。
「……では、よろしくお願いしますね――」
三
祭囃子の笛の音が、夜に沈む山並みと水田に囲まれた里一帯の隅々まで届く。
月影神社の参道は、ずらりと並んだ出店の煌々とした灯りで照らされ、浴衣姿の客がひっきりなしに行き交い、年一番の賑わいを見せていた。
「いやあ、今年も盛大に祭が開催できてよかった」
「本当に。去年はもう最後かという話も出ていたのに」
「まったく、ひと安心ですな」
本殿の境内では、集まった若い衆や老人が、口々に安堵の声を上げている。その中心には、長方形の無機的なフォルムにもかかわらず、満月の光を受けて鮮やかで妖しい金色の光を湛えている、不思議なパネルがあった。
「どうです、いい性能でしょう。我々が開発した『ルナパネル』は」
本山社長の言葉に、筋骨隆々のたくましい姿をした猪の棟梁も、顔に派手な模様を施した猿の若旦那も、白く豊かな眉で視線が窺えないあやかし連の長老も、一様に頷く。
「昼間は何の変哲もないソーラーパネル。しかし夜になれば、妖力を帯びる月光を吸収し蓄える。このように提灯や出店の灯りとなったり、様々な種族が変化できる結界を作るエネルギーにもできるのです。一部の資材を再調達せざるを得ないトラブルもありましたが――祭の開催する満月の夜に間に合って、よかったですよ」
月影神社の例大祭は、日常的に化ける力を持つ狸と狐以外の山の『住民』たちも、思い思いに姿を変え、思う存分楽しむための夜だ。たまに人間の子どもがふらふらと迷い込むのも、また一興。
しかし、過疎化に伴う信仰の衰退の影響で、自然に土地が集める妖力は年々減少の一途を辿っていた。そこで、山の斜面の一部、あまり月光から妖力を集められなくなった古木たちを伐採、この『ルナパネル』に替える工事を行い、より効率的に妖力を補充する――というのが、今回の開発計画の全容である。
「まったく、こんないいものを発明したのなら、初めからきちんと説明してくれればよかったのに」
「すみませんね、そういうことはてっきり、紺野さんのほうでやってくれるものだとばかり思っていたから」
「……ええと、皆さんまだわりと誤解されてますけれどね」
そうそうたる顔ぶれに気後れしつつ、私は口を挟む。
「私、『特別開発案件担当』というのは、あくまでも『人間社会側』と『こちら』の世界の間を取り持つ――まあ、ごまかしごまかし何とか折り合いをつける、というのが本来の仕事なんです。それだけでもう手一杯なんです、何しろ人間の社会は、面倒な手続きやら堅苦しい書類やらが山積みで……はあ」
半ば愚痴になったが、そんな世界とは普段縁のない『こちら』の皆さんには、まあ、半分くらい伝わってくれれば幸いだろうか。
「……なので、『こちら』側同士の調整は、本来、本山さんの側でやってもらうことなんです。おかげで私、毎日『こちら』の皆さんに怒鳴られ疑われ脅されて……」
「まあまあ、悪かったよ、紺野くん。今夜は私が奢るから、飲みなさい、食べなさい」
「……気が緩んで、腹が出てますよ、本山社長」
酒も入って赤ら顔の本山社長は、せっかく決めたスーツから本来のでっぷりした腹がはみ出していても、上機嫌を崩さない。
「紺野さん、本当にまた、いろいろと頼みますよ。何しろこれから、この成功事例を大々的にアピールして、県内、いや全国の霊山から発注をもらう計画なんですから」
「狸が皮算用してどうするんですか……もうこれ以上、私の負担を増やさないでもらいたいものですがね」
「でも、もともと、調整ごとはこちらの領分だと主張してそのポジションに座ったのは、そちらの種族でしょう?」
「ええ、そのプライドのお高い主張の犠牲者なんですよ、私は」
「まあまあ、仲良くやりましょうよ。お互い、この里の未来を繋げるために人里に紛れて暮らす、同じ穴のムジナじゃないですか」
「いや、まあ、仕事ですから、必要なことはやりますけれどもね……」
私はもう一度、盛大にため息をつく。
「もう、こんな騒動は、狐狸狐狸ですよ」